ページ

2015年1月5日月曜日

伊勢弾丸ツアー2014‼︎

と言う事で、既に去年になってしまいましたが、平成二十六年十月にお伊勢参りへ行ってきましたので、その様子をば(^∇^)

十月十九日、例によって午後八時過ぎに自宅を出て東京方面へ。日付の変わる頃に首都高に乗り、一路西へと向かいます。
去年、似たような旅を三度ほど行っていたため特に何事も無く、途中休憩を取りつつ、二十日午前六時前には外宮に無事着くことが出来ました(^^)/
伊勢神宮外宮です。
早朝の外宮は何度来ても清々しい場所です。
去年、遷宮直後の参拝時にあった古い御正殿は既に解体され、心身柱を覆う覆屋が残された状態になっています。
外宮御正宮です。
平日早朝の参拝ということもあり、ゆっくりと静かに参拝できました(^O^)
御祭神の荒御魂を祀る別宮多賀宮も、既に遷宮を終え、新しい社殿となっています。
同じく境内別宮の土宮と風宮は、現在新しい社殿を造営中のようです。

外宮参拝を終え、少し離れた境外別宮の月夜見宮へ。
月夜見宮です。
此方も遷宮に向けて社殿造営中です。

この後、内宮へと向かいます。
内宮五十鈴橋です。
時刻は八時半ですが、既に多くの参拝の方々がいらっしゃいました。
内宮御正宮です。
此方も御祭神の荒御魂を祀る荒祭宮は、遷宮を終えて新しい社殿になっています。
別宮風日祈宮は、新しい社殿が遷宮を待っているご様子。

内宮参拝を終え、五十鈴橋から少し右手に鎮座する宇治神社へ向かいます。
御由緒書を参考にすると創祀には二説あり、一つは皇大神宮末社那自女神社(なじめじんじゃ)の跡地に土地の神を祀った説、もう一つは万治三年(1660)の宇治洪水の時に神路山にあった祠がこの地に流れ着いたと言う説です。
宇治神社は内宮の鳥居前町「宇治」を守る氏神様をお祀りし、また、中世より鳥居前町として栄えた舘・今在家・中ノ切・浦田の四ヶ町の産土神でもあります。明治四十一年、四ヶ町其々に祀られていた御祭神と、旧内宮所管社の御祭神数柱が宇治神社に合祀され現在に至っています。

周辺神社を合祀している為、御祭神も数多くいらっしゃいます。大山祇神を主祭神として、以下、玉移良比賣神、御裳須曽姫神、豊玉比賣神、素盞鳴尊、天兒屋根命、早秋津日子神、早秋津比女神、新川比賣神、火産霊神、水波賣神、神名不詳一座(旧石津賀神社の御祭神)、応神天皇、天見通命、中臣鎌足神霊、和気清麻呂神霊、菅原道真神霊、楠木正成神霊、彌武彦神、羽倉東麿神霊、岡部真渕神霊、本居宣長神霊、平田篤胤神霊が祀られています。
また、後述する「足神さん」に宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)、蓬莱稲荷神社に宇迦之御魂神が祀られています。
社頭です。
社号標です。
一の鳥居です。

階段脇には「足神さん」と書かれた幟が多く、崇敬の度合いがわかります。
二の鳥居を抜けると、こぢんまりとした境内はしかし、静かで清浄な空間というのがよく感じられます。神路山の麓ということもあるんでしょうか。
社殿です。
形式は神宮の別宮と非常に似通った部分があります。

社殿隣には古殿地のような場所もあり、内宮末社の名残ということでしょうか?
社殿の向かい側にある此方も何だろう?

此方は境内社の「蓬莱稲荷神社」です。
蓬莱とは、凄い運が来そうな名前だと思ったら、元々は蓬莱家という方のお社だそうで、そんなすごい名前があるとは初めて知りました( ̄□ ̄;)!!
二の鳥居の脇の此方は「足神さん」です。
案内板を参考にすると、本社は内宮末社の葦立弖神社(あしだてじんじゃ)に凝して建てられています。一節では宝暦年間(1751-64)磯部街道の笹原茶屋の亭主が、脚を怪我した老狐の治療を施しますが、甲斐なく狐は死んでしまいます。亭主はこれを厚く葬り、山神に祖霊と祀り崇敬したのが始まりとされています。その後、足の疲労平癒を祈れば加護ありと、遠方からも参拝に来る人が多く、草鞋を献ずる習慣があったそうです。現在でも陸上選手や足の悪い方たちが健脚、健康を祈りに来るそうです。

社殿前には「撫石」があり、これを撫でて祈るのでしょう。
前にご紹介した茨城県石岡市の「足尾神社」も草鞋を納める習慣があり、このような習慣、風俗は全国的なものなのですね。
御朱印は社務所で頂けます。
ただ、基本的に宮司さんは朝方ぐらいしかいない事が多いです。僕も今回三回目の参拝で合うことが出来ましたので、確実に御朱印を頂きたい方は事前確認が無難かと思います(^^)/さて、宇治神社を後にして次の場所、内宮の境外別宮である月読宮へ向かいました。
月読宮です。
此方は既に遷宮を終えて新しい社殿になっています。
参拝した日には旧社殿の解体を行っている最中で、社殿奥の木々の隙間から、作業の様子が垣間見えました。二十年の御役目を終えて、古殿地としてまた二十年を過ごす、なんだか言葉には表せないような感慨を感じました。
他の別宮にも参拝したかったのですが、今回は伊勢まで来たので、本来の目的である伊勢国、志摩国の総社の参拝へと向かいます。
志摩国総社、「国府神社(こうじんじゃ)」のご紹介です。志摩国総社は本などでは不詳であると書かれていたりし、国府神社も総社であるとの確証はないとのことですが、このブログでは志摩国総社として扱わせて頂きます。また、調べたものの殆ど由緒が分からず、今回はご由緒は省かせてもらいます。また後日加筆できたら追加していきたいと思います。さて、神社です。僕の悪い癖で、大体の場所が分かれば大丈夫だろうというノリで行ってしまうので、今回も遠く三重の地で知らない場所をグルグルと回っていました(-_-;)
で、社頭です。
行き違いの難しい細い路地の、カーブの途中という中々の立地条件です。
一の鳥居です。
建物の間の細長い参道を行きます。
参拝した時には手水屋を新しくするための工事の最中でした。

二の鳥居です。
参道途中にある石碑のようなもの。参道を挟んで一対なのですが、上部の形状が違います。注連縄を渡すには低すぎるし、一体何かな?
参道を抜けた境内は、思った以上に広い空間です。

静かな境内には薄らと潮騒が聞こえ、とても居心地の良い空間です(^^)/
拝殿です。

狛犬は昭和四十年奉納の新しいものです。
神紋は「左三つ巴」です。
本殿です。
どうやら此方は覆屋で、本殿はちらりとだけ見えます。
神宮遥拝所です。
破損している石碑は、「太子」と見えるので、聖徳太子の碑なのでしょう。
此方も境内にありました。形状は内宮や外宮にある「四至神」に似ていますね。
御朱印はこの後に紹介します、宇賀多神社さんで頂く事ができます。
今回写真には撮っていませんが、志摩国国分寺が1㎞圏内にあります。散策をすれば志摩国国府跡も近くにあるのでしょう。国府神社が総社に比定されるのはこう言った部分によるんでしょうんね。
国府神社参拝後、御朱印を頂くのを含めて宇賀多神社へと移動します。
「宇賀多神社(うがたじんじゃ)」は三重県志摩市阿古町鵜方に鎮座します。御由緒として、社宮司社と呼ばれる大岩を御神体として祭祀が行われたのが始まりとされています。室町時代に末殿八王子社と合祀し、江戸時代に宇気比神社、明治四年に天眞名井神社と社名を変え、明治四十年には境内社を合祀し、現在の社名である宇賀多神社と改称し、大正四年に村内各所の神社十七柱の神々を合祀し現在に至っています。
御由緒の通り、長い歴史の中で合祀を繰り返しており、現在祀っている神様の数も多いです。
主祭神として、天照大御神と素戔嗚尊の誓約で生まれた五男三女神である天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命を祀ります。
合祀神として、豊受姫命、素盞鳴尊、倭姫命、木花咲夜姫命、瀬織津姫命、伊弉冉命、天児屋根命、櫛八玉命、豊玉姫命、琴平命、応神天皇、菅原道真、綿津美神、天水分神、建御名方神、大山祇神、火加具土神を祀っています。
社名の宇賀多(うがた)が、「受かった」「う勝った」に通じる事から受験の合格祈願や、主祭神の天忍穂耳命が勝負の神様であり、必勝祈願にご利益があるんだとか(^^)さてさて、神社です。
宇賀多神社は三重県志摩市阿児町鵜方に鎮座します。近鉄鵜方駅や志摩市役所などが近くにありますが、神社自体は鵜方駅の北側に位置し、道も結構細いです。車での参拝の場合は注意が必要かもしれません。鵜方幼稚園が神社に隣接しているので、場所の確認時に参考にしてもいいかと思います(^^)/また、今回僕は近くの駐車場に停めての参拝だったので、参拝者用の駐車場が確認できなかったのですが、一応幼稚園の近くに専用駐車場があるそうです。
社頭です。
一の鳥居と社号標です。
玉砂利の参道が続きます。この写真の右側、垣根の向こう側に幼稚園の敷地が広がります。
と、この辺りでぽつりぽつりと雨が降ってきてしまい、本来は心地よい玉砂利の音も、この時には湿った音に取って代わられてました(>_
手水舎です。
「水みくじ」の看板があります。水に濡らすと白紙の表面に内容が浮かび上がるというものですね。ちょっと興味はありましたが、今回は我慢しました。今思えば話のネタにでもやってみれば良かった(^_^;)
二の鳥居です。
鳥居の向こう側には玉砂利が綺麗に敷き詰められた境内が広がります。
御神木は「竹柏(なぎ)」です。
写真では分かり辛いですが、根元近くから大きく裂けています。これは江戸中期、落雷より御本殿を守った時の痕なのだそうです。
狛犬です。
ここの狛犬は左右とも口を開けています。
邪悪を吸い取るという願いが込められているそうです。
奉納は大正十一年四月十三日と読めます。
拝殿です。
扁額です。
神紋は「左三つ巴」のようです。
本殿は神明造です。拝殿から繋がった造りですね。
社殿向かって右手には御由緒で書いた大岩を祀った「社宮司社(しゃぐうじしゃ)」があります。
社伝では鎌倉時代に海底から引き上げられた石だと伝えられ、本殿の創建以前からこの場所に奉安され、周囲に石垣を積み斎場を成し、家内安全・海上安全・豊漁満足を願う人達の信仰を集めてきたんだそうです。
説明板など見ないと、本当に普通にあるので通りすぎてしまいそうですが、かつての信仰の名残を見て取れます。
社宮司社の前に奉納された砲弾は、日露戦争の戦勝の折、勝負の神様へのお礼にと奉納されたものだそうです。
これは手水舎?先代の物にしては新しい気がします。
それにしても中々の派手さがあります^^;
御朱印は社務所で頂けます。
ただ、此方も宮司さんが神社を離れていることがあるので、事前の連絡が無難かと思います。

宇賀多神社を後にして、伊勢國総社へと向かおうとしたのですが、此処で緊急事態!!大雨に大雨、豪雨状態になってしまい、結局これ以上の参拝を断念、茨城へ帰りましたとさ(´・ω・`)