茨城県日立市入四間町に鎮座する「御岩神社(おいわじんじゃ)」のご紹介です
御祭神は国之常立神、大国主神、伊邪那美尊、伊邪那岐尊、木花開耶姫命、武甕槌命、面足命、誉田別命、軻遇突知命、奥津彦命、奥津姫命、素盞嗚命、大山祇命、倉稲魂命、大己貴命、天御中主命、高皇産霊命、神皇産霊命、金山彦命、金山姫命、少彦名命、別雷命、月夜見命、立速男命、日本武尊、菅原道真公の二十六柱となります
その他に御岩山総祭神百八十八柱が祀られます
日本の神様大集合のようですね😳
御由緒として、(御岩神社の御由緒書と茨城縣神社誌を参考にしています)、当社の創建時期は不明ですが、縄文晩期の祭祀遺跡の発掘や、常陸國風土記に「浄らかな山かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」と記載されている事から、古代からの信仰の聖地であった事が窺われます
中世には山岳信仰とともに神仏混淆の霊場となり、加波山と並ぶ両部修験道場となります
江戸時代に入ると、水戸藩初代徳川頼房公が出羽三山を勧請し水戸藩の国峰と位置付け、藩主代々参拝を条例としました。二代藩主徳川光圀公は、それまで入四間大権現と尊称されていたものを、御岩大権現と改称します
明治維新後には神仏分離令が実行されます。境内二十一の神社、寺院を整理統合され、大日堂、常念仏堂、百観音堂、大仁王門等が取り払われます。しかし、仏像の現存、境内の遺跡、古代信仰、神仏習合色が色濃く残り、神仏を祀る唯一の社として、他の神社・寺院に見られない独自の信仰が伝えられています
さて、神社です
此方には何度も参拝させてもらっており、写真が新旧様々です、申し訳ありません💦
神社は日立市の山間、神峰山や高鈴山などに囲まれた場所に位置します
駐車場は神社周囲に整備されています(^^)/
社頭です
社号標です
大鳥居です
鳥居の足元にハート形の石が❤
鳥居をくぐると、まさに神域と言うに相応しい光景が広がります
祓戸神社です。杖は無料で借りる事が出来るようです😄
愛宕神社です
階段はあるものの、かなり急です
季節によっては水芭蕉が奇麗に咲いています🌝
楼門は平成三年の再建です
金剛力士像は江戸中期の作と言われます
神仏分離の禍乱の中、楼門は破却されてしまいますが、金剛力士像は崇敬篤い氏子さん達が隠し守ったことでこうやってお参りできるんですね!
後生車です
上へ回すと現生の願い、下へ回すと後生の願いが叶うとのこと
此方は栗唐不動池です
以前は御岩山に入る修験者が禊をした池との事ですが、恐らく以前はもっと大きい池であったのが、神仏分離で整備が滞った際に土砂などが流入し、小さくなってしまったのではないかと言われます
横の滝は栗唐不動滝ですが、見辛いですね💦
2019年に池の周囲が整備されています
此方は斎神社回向殿です
御祭神は天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、八衢比古神、八衢比賣神になります
扁額です
大日如来像、阿弥陀如来像も祀られています。現在大日如来坐像は新しく建てられた大日堂にお遷りになっています。大日如来坐像、阿弥陀如来坐像ともに秘仏ですが、回向祭など特別な時のみ開扉します。また、大日如来坐像は神仏分離令前までのご本尊でもありました
写真真ん中の建物が大日堂ですが分かりづらいですね💦
斎神社右手には石仏が並びます
これは「四国霊場諸仏」で、四国にある八十八箇所巡り、お遍路巡りをこちらでも巡れるように祀った場所です
神仏分離令で一度は取り払われ土に埋もれたのを掘り起こし、改めて祀られていますが、全て揃ってはいないのだそうです
こちらは動物供養像です
御岩神社では春、秋の年2回に回向祭と言う、ご先祖様とともに動物も含めた万物の供養を行っています
御神橋です
2023年に訪れた際には新しくなっています
狛犬は昭和七年(1932)奉納です
御岩神社拝殿です
扁額です
神紋は水戸徳川家祈願所であり、「葵」となります
本殿です
此方は令和七年四月二十日の回向祭で舞の奉納が行われている様子です
稲荷総社です
此方は姥神様です
以前は御岩山の結界の石像として置かれていたそうです
八大龍王神と入四間不動明王です
水子地蔵尊です
表参道の鳥居です
かつての御岩山は夏山禅定として夏の一ヶ月しか入山が許されなかったそうです。今でも夏の間には、社殿前に夏山禅定の提灯が設置されます
ここから賀毗禮神宮の表参道、そして御岩山の登拝道となります
内容が多くなってしまうので、その弐へ続きます(^^)/