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2012年10月14日日曜日

佐波波地祇神社(北茨城)

茨城県北茨城市大津に鎮座する佐波波地祇神社(さわわちぎじんじゃ さわわくにつかみじんじゃ)のご紹介です

此方は延喜式神名帳に記された式内社で、「多珂郡一座小 佐波波地祇神社」の論社になります。旧社格は郷社です

御祭神は天日方奇日方命(アメヒカタノミコト)です。大己貴命の令孫、事代主命の第三皇子で、神武天皇に仕え東夷征伐に大功を挙げた神様です。

また、配祀神として大己貴命、積羽八重事代主命、三輪神少彦名命、媛蹈鞴五十鈴姫命、五十鈴依姫命の五柱の神様を配祀しています。

創立は不詳ですが、前述の延喜式神名帳に記されている事、また日本三代実録には「清和帝 貞観元年四月二十六日辛亥常陸多珂郡正六位上佐波波神進従五位下云々」とある事から、少なくとも天安年間(857〜)には創立していたと考えられています

古くは佐波波神、また六柱のご祭神を祀ることから六所明神と尊称されていました。

御神徳として特に海上守護が広く世に知られ、古来より武将や海上航海漁民の崇敬が厚い神社です。神社の鎮座する山は鬱蒼とした松の森に包まれ、海上から見ると蒼龍が天に昇るが如くに見えて、航路の目標としていたそうで、日本武尊も東征の折に当社の祭神に助けられているそうです。

この鎮座地の山はその奇端と松影から唐帰山(からかいさん)と呼ばれています

また、当社で行われる『常陸大津の御船祭』は五年毎の斎行で、国の無形民俗文化財に定められています

神輿の載った神船がお囃子と共に300人の曳き手に曳かれ町中を練り歩く雄壮なお祭りなんだそうです!次回の平成二十六年には是非見たいものです(⌒▽⌒)

さて神社です

北茨城は名前の通り茨城県でも最北端に位置した港町で、律令時代には東海道の最北端でもあります。詩人の野口雨情出生地であり、画家の岡倉天心と所縁が深く、天心自ら設計した六角堂があるなど、美的な景勝地も多い場所です。しかし、東日本大震災では茨城で最も被害が大きかった場所となってしまい、六角堂も津波により流出してしまいました。

震災後、高速で通る以外には初めての訪問となりましたが、所々で道路の復旧工事をしている以外には大きな被害は無いように見えました

神社の鎮座する唐帰山は大津漁港の目前です。此方の漁港も大きな被害があったようですが、現在はそんな様子も無く、静かな漁港と言った様子です

周辺には変わった形の岩があります

大津漁港から細い路地に入ると参道に続く更に細い道。車で向かう場合は更にそこから100m程行った所から駐車場へ続く道があります

神社入り口です

階段途中に鳥居があります

階段を登り切ると狛犬がお出迎えです

入り口には三対、六体の狛犬が鎮座しています

こう見ると狛犬の意匠も様々ですo(^▽^)o

此方は駐車場側の入り口です

狛犬は新しいですね

拝殿前の鳥居は残念ながら破損した状態です

よく見ると境内の被害を受けた建造物に札のようなものが掛けられています。早く修復が進むといいですね(´・_・`)

参拝した日はよく晴れてて、境内から見える海が輝いていました。

潮騒の聞こえる神社はすごく落ち着きます

手水舎です
神紋は「左三つ巴」ですね

扁額です

此方は昔の扁額なんでしょうかね、横に掛かっていました

拝殿です

権現造りで、現在の拝殿は明治十一年造営になります

拝殿前の立派な金属製の灯篭です。正式には唐金造灯篭と言うそうです

本殿です

流造正面軒唐破風銅葺で、享保十二年(1727)の造営です

小振りですが、立派な彫刻が社殿を彩ります

本殿横手には奉納された錨が並びます

神輿殿です。被害が痛々しいです…

大黒様です

なでてくださいとあったのでなでときました

武田姫稲荷社です。

何かこの地方に謂われのある人物なんでしょうかね?

九徳稲荷神社です。

此方は階段途中にある伍位稲荷大明神、稲荷社が多いですね

二十三夜尊です

狸がおりました

かね牛です

他にも境内社、境外社、建造物が数多くあります

此方は唐帰の井戸です。三百年間水が絶えずに湧き出ているそうです

拝殿横にあった船です。御船祭のミニチュアなんでしょうかね

御朱印は社務所で頂けます

ここから西へ9kmほど行くと、論社であるもう一つの佐波波地祇神社があるのですが、ナビを使用したにも関わらず辿り着けぬという展開Σ(゚д゚lll)また次の機会に…行けるんでしょうか、この方向音痴にorz

周辺には再建を果たした六角堂、野口雨情や岡倉天心関連の美術館などもあるので、足を伸ばして見るのもいいと思います

 

 

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