ページ

2014年1月19日日曜日

西金砂神社(常陸太田市)

茨城県常陸太田市(旧金砂郷町)上宮河内町に鎮座する「西金砂神社(にしかなさじんじゃ)」の御紹介です

御祭神は大己貴命、国常立命、少彦名命の三柱になります御由緒として、平城天皇の御代、延暦二十五年(806)三月に、天台沙門宝珠上人が、現在の滋賀県鎮座日吉大社から日吉権現を勧請した事に始まります。創建当初には、比叡山延暦寺の伽藍を模した七堂伽藍中堂を設けていたそうです。その後、常陸七郡の総社として武門の崇敬も篤く、一時期には社領を一万石有していた事もあるそうですが、太閤検地や水戸藩の政策により社領は削られてしまいます。応永二十一年(1414)に社殿が罹災し、応永三十一年に再建が果たされています。中世には、常陸太田を居城とした佐竹氏の厚い崇敬を受けます。

江戸時代になると最大の庇護者であった佐竹氏が秋田へと移封されます。水戸徳川家二代藩主光圀公はその政策で神仏分離を図り、西金砂山から社寺や古仏像を廃し,僧侶を別の地に移します。明治初期に郷社、その後に県社へ列格します。

此方の神社、由緒あるのは当然ですが、凄まじいのはその祭礼です。小祭礼は七年毎の未年と丑年に行われます。一方の大祭礼、何と何と七十二年に一回!!!二度見る者は稀である、とまで言われていますΣ(・□・;)正式名称は「金砂神社磯出大祭礼」で、当社と東金砂神社から日立の水木の浜まで、渡御行列を一週間かけて往復するもので、前回は2003年に行われました。第一回が仁寿元年(851)、平安時代ですが、2003年時で第17回、17回って…ちなみに次は2075年・・・まぁ見れないですね(-。-;是が非でも見ておけば良かった・゜・(ノД`)・゜・。

さて、神社です(今回は平成二十四年十月と平成二十六年一月の写真が混じっています)

神社鎮座地は西金砂山の頂上になります。天然の要害として佐竹氏の城郭もありました。と言う事はつまり、凄まじい道であるということです

此処から神社へ行く山路が始まります。車で行けますが、道幅は細く、崖があるのがデフォルトなので、走っている最中は兎に角対向車だけは来ないように、と祈るばかりです(>人<;)

社頭です

目の前には佐竹氏の城郭、金砂城の跡地が広がります・・・と、看板しか写真を撮っていませんでした(^_^;)

立派な大木は其々西金砂神社のサワラ、西金砂神社の銀杏と呼ばれ、共に県の天然記念物に指定され、どちらも樹齢は七百年と言われています。

一の鳥居です。

社号標です

結構急な石段を登りますが、後でこれが序の口だと知らされますヽ(;▽;)ノ

途中には境内社の駒形神社があります。平成二十六年は午年であり、まず参拝です。

拝殿です。目の前には杉の木が聳えていますね。

神紋は「左三つ巴」と佐竹氏所縁の「五本骨扇に月丸」でしょうか。神社名鑑を見ると、三つ巴のみの記載なので、扇紋は違うかもしれませんね。

と、この拝殿の下には...

ズラリと獅子鼻と思しき獅子たちが並んでいるではありませんか!!

恐らくは旧社殿を飾っていたであろうものを捨てずに保管しているのでしょうが、結構壮観ですヽ(^o^)丿

さらりとその中には三猿がいたりします。

で、此方は拝殿だけで、本殿は更に山の上に鎮座しています。

此処から一転して山道になります。履きやすい靴でないと、危ないかもしれません。

途中には境内社、松尾神社、鹿島神社、鷺森神社がありますが、結構な急斜面に建っています。

そして最後の難関、石段です((((;゚Д゚)))))))

かなりの急角度、途中手摺を掴んでいないと危ないと感じる場所もあります(・。・;

そして山頂、西金砂神社本殿になります。

昭和三年奉納の狛犬さんは、小振りですが細かな装飾が存在感を醸します。

本殿自体にも豪華な装飾が施されています。

現在の本殿は文化二年(1805)の建立になります。

本殿のある山頂は少し開けた場所になっており、多くの境内社が控えます。が、一切写真を撮っていませんでした。二回行って二回とも忘れるとはorz

本殿前には大国様とお地蔵様がいらっしゃいました

本殿横からの眺望はとても素晴らしく、冬の空気の澄んだ朝などは、富士山まで見えるそうです(^o^)

社務所横にも境内社があります

天満神社、山野神社、厳島神社です。

 

御朱印は社務所で頂けます

近くには温泉があったり、蕎麦の美味しい地域なので、周囲の散策もオススメです(^O^)

0 件のコメント:

コメントを投稿