前回、多田朝日森稲荷神社を参拝した後、行きたい神社は複数あったのですが、一宮町にある玉前神社を最終目的地に考えていたので、まずは南下することが先決と考え、南に向かいます。
で、上総国の一の宮である玉前神社に向かうのであれば、その途中にある上総国の二の宮行こうと、かなり安直な考えで次の目的地を選定しました^_^と言う事で、千葉県茂原市に鎮座する「橘樹神社(たちばなじんじゃ)」のご紹介です。
御祭神は弟橘比賣命(おとたちばひめのみこと)を主祭神とし、夫である日本武尊と、父である忍山宿禰(おしやまのすくね)を相殿神として配祀しています。
橘樹神社は延喜式神名帳に記された式内小社で、上総国二之宮でもあります。
御由緒として、日本武尊が東征の折、相模から上総へ渡ろうと際に海上で暴風に遭い、船は先に進むことも出来ず漂流してしまいます。弟橘比賣命は海神の怒りを沈める為、夫である日本武尊の代わりに荒れ狂う海に身を投じると、暴風は収まり、船は無事に上総へ上陸することが出来ました。日本武尊は妻の死を悲しみ、陵墓を作り、媛の遺物である御櫛を納め、墓標の代わりに橘の樹を二株植えて祀ったのが始まりとされています。
景行天皇御代五十三年に景行天皇の巡行があり、陵下に拝殿と神門を造営せよとの勅旨を賜る。以後、江戸中期まで本殿はなく、拝殿から陵墓を配祀していたそうです。
応仁期と天正期に兵火に罹り、社殿を亡失しています。
天文年間に拝殿を再建、寛政十二年(1800)に本殿造営、拝殿の修繕が為されています。明治七年に拝殿の改築、同二十三年に渡殿の造営、明治四十年に拝殿の大改築が行われています。
明治六年には県社へ列します。
現在は「橘樹神社(たちばな)」と表記されますが、以前は「橘」「橘木」と記されていたようです。
さて、神社です(^^)/
駐車場は神社から向かって右手に大きな駐車場があります。
社頭です。
社号標です。
一の鳥居から四つの鳥居が続きます。
手水舎です。
狛犬さんです。
愛嬌あるお顔立ちですね(・∀・)
境内はかなり広く、ゆっくりと散策できます(^^)
独特なお顔の狛犬さんですね^_^
その後ろにも狛犬さんですが、一体はお顔が痛々しいお姿に(T_T)
拝殿です。
天文年間(1532-1555)の再建で、数度の修繕、改築がされています。
扁額です。
神紋は社名の通り「橘」ですね。
その他にも「左三つ巴」が多く見られます。
渡殿は明治二十三年造営です。
本殿です。
寛政十二年造営になります。
本殿後方には弟橘比賣命の陵墓とされる古墳が残っています。本当に古墳があると、ロマンが膨らんでワクワクしてしまいます(^^)
先代の手水舎ですね。
力強い彫りが、奉納者の気持ちとして伝わりますねd(^_^o)
社殿向かって左手には境内社があります。
窟戸神社は天手力雄命が御祭神になります。
子安神社は木花咲耶姫命が御祭神になります。
稲荷神社で、御祭神は保食命です。
他にも秋葉神社と粟嶋神社があるそうですが、
記載などがなく詳細が不明です(-_-;)
此方は吾妻池で、陵墓を作るために土を掘った場所になるそうです。
かつての社号標なのでしょう、神社名は「橘」一字ですね。
御朱印は社務所で頂けます。
また此方ではオリジナルの御朱印帳もあります。ちょっと大き目のサイズになります^ ^
橘樹神社参拝終了した所で夕刻が少しずつ近づいており、最後の目的地である玉前神社へと向かいます。
千葉県長生郡一宮町に鎮座する「玉前神社(たまさきじんじゃ)」のご紹介です。
御祭神は玉依姫命で、初代神武天皇を産んだとされる神様になります。
当社は延喜式神名帳に記された式内名神大社で、上総國一宮でもあります。
御由緒として、名神大社、上総國一宮として太古から朝廷、豪族、幕府などの信仰を集めてきたようですが、永禄年間(1558-1570)に兵火に罹り、社殿や記録などが焼失してしまい、詳しいことは不明となってしまったようです。しかし、当社に伝わる例祭と神幸祭である「上総十二社祭り」が大同二年(807)創祀とされ、少なくとも千二百年前には創建されていた事が推察されています。
貞享四年(1687)に現在の社伝が造営されています。
明治四年には国幣中社に列せられています。
さて、神社です。
神社は国道128号からちょっと入った場所になります。
駐車場は正面一の鳥居を迂回する形で第1パーキングと、神社裏手に第2パーキングが有ります。
社頭です。
社号標です。
一の鳥居前の狛犬さんは新しいものですね。
年代物の二の鳥居です。
鳥居横では御神水取りができます。
二の鳥居を潜った先にも狛犬さんです。
此方も、と言うより千葉県は独特な狛犬さんが多い気がします^_^
手水舎です。
両部鳥居ですね。
鳥居の真下、金属製の此方は「知恵の輪くぐり」と言うそうです。脳力が高まるんだとかΣ(゚∀゚ノ)ノ
以前は知恵の輪もなく、提灯も掲げられていなかったので、随分様変わりした印象を受けます。
拝殿です。
黒漆塗りの拝殿は、貞享四年の造営です。
現在は平成の大修理ということで一部覆いが掛かった状態です。
此方は平成十九年参拝時のものですね。
神紋は「左三つ巴」と「鏡に御統(みすまる)」なのだそうですが、
「菊紋」しか確認できませんでした(^_^;)菊紋も神紋で良いのかな??
本殿です。
本殿も拝殿と同じく貞享四年の造営で、本殿・幣殿・拝殿が一体となる権現造りになります。
正式には「大唐破風流れ入母屋権現造り」だそうです。
本殿後方には神幸祭である上総十二社まつりの写真が貼られ、勇壮な雰囲気が感じられました(^^)
此方は平成十九年参拝時の本殿です。
社殿向かって左手には末社の十二社があります。
明治初年に一宮町内にあった十二の柱の神様が、明治政府の命により玉前神社に合祀されました。
愛宕神社、八幡神社、三島神社、白山神社、日枝神社、山神社、浅間神社、塞神社、蔵王神社、粟嶋神社、熊野神社、水神社の十二社です。
十二社前には「はだしの道」があります。
社殿向かって右手には「招魂殿」があります。
神楽殿です。
神楽殿の左手には御神木である「いすの木」が。
立派な姿のこちらは、別名「なんじゃもんじゃ」。以前参拝した天津神明宮でも御神木として「まるばちしゃの木」を「なんじゃもんじゃ」と呼んでいましたが、「なんじゃもんじゃ」が特定の木を指すわけではなく、珍しい木を「何の木じゃ?」と読んでいる内に「なんじゃもんじゃ」の呼び名になるそうで、関東地方ではチラホラと見られるようです^_^
因みに此方が天津神明宮の御神木「なんじゃもんじゃ(まるばちしゃの木)」です(^^)/
此方は「三峯神社」です。
手水舎裏手にはさざれ石です。
さざれ石の向かい側には銀杏の木があります。
雄株と雌株の真ん中に実生の子ども銀杏が育っており、「子宝いちょう」と呼ばれているそうです(^^)
境内に幾つかある句碑の中には芭蕉の句碑などもあります。
御朱印は社務所で頂けます。
また此方にはオリジナルの御朱印帳もあります。
自分は朝焼けのようなイメージが気に入り赤を購入しましたが、その他にも青と白があります(^o^)
ちなみに神紋である「鏡に御統(みすまる)」は、菊紋の隣がそうです(^^)
さてさて、これにてプチ千葉探訪編終了です!結局参拝から3ヶ月後にって、筆が遅すぎますね(・・;
これからもこんな感じでトテトテやっていきますので、またご覧頂けると幸いですm(__)m
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