茨城県行方市に鎮座する『大宮神社(おおみやじんじゃ)』のご紹介です
御祭神は武甕槌命と天津彦穂瓊瓊杵尊、配祀神として経津主命、倉稲魂命、菅原道真公、大山咋命となります
御由緒として、茨城縣神社誌を参考にすると、和銅六年(713年)以前の鎮座と伝わります。元暦元年(1184年)玉造左京太夫憲幹が社殿を造営しますが、文政十年(1827年)九月に社殿が炎上します。嘉永三年(1850年)八月に現在の社殿を造営します。水戸歴代藩主の崇敬が厚く、例祭には寺社係を遣わし、領内巡検の際には当社に参詣し五穀豊穣、村民安穏を祈願したとの事です。
明治六年五月に村社へ列格します。大正元年十一月同地内の石上神社、中館稲荷神社、駒留神社、松尾神社を合併します。大正十五年七月に天津彦穂瓊瓊杵命が合祀されます。
当社は行方市として合併する前の玉造町の総鎮守になります。
大宮神社を兼務されている素鵞神社さんのHPによると、当社は常陸國風土記の行方郡の上に記載された「香島神子之社」と言われているそうです。
概要として、行方郡の西北の方に堤賀里(てがさと)と呼ばれる集落があった。ここにはかつて手賀(てが)という佐伯が住んでいた。この者が住んでいたため、その名前が里の名になった。この里の北には香島神子之社がある。社の周辺の山野は地が肥え、草木や椎、栗、竹、茅の類いがたくさん生えている。
ここに記載された「香島神子之社」が当社だという事です。
また、素鵞神社さんのHPや他の方のブログなどを拝見すると、瓊瓊杵命が合祀されたのは元暦元年、玉造憲幹が守護神として勧請合祀とあります。
大宮神社では五月四日、五日が祭礼となります。初代玉造城主が始めたと言われ、子ども達の健やかな成長と五穀豊穣を祈願し、盛大に行われるそうです( ´ ▽ ` )
さて、神社です。今回の写真は平成三十一年三月、令和元年六月、令和四年二月のものを掲載しています
神社の鎮座地は大通りから離れた場所で、要所要所に標識がありますが、結構小さいので見落としがちです^^;地図で少しでも分かりやすくなるのならm(__)m
駐車場は神社脇にあります
一の鳥居と社号標です
参道です
二の鳥居は両部鳥居です
手水舎です
平成三十一年三月参拝時は、社殿の工事が始まっていました
こちらは令和元年六月、拝殿は完全に無くなり、本殿のみになっています
こちらが令和四年二月、まだ造営中ですが、拝殿が形作られています
竣工は令和四年五月予定だそうです^^例祭に合わせてなんでしょう、今から真新しい社殿を参拝できるのが楽しみですね♪( ´▽`)
神紋は左三つ巴でしょうか
此方が現在の仮殿です
境内社の淡島神社です。
案内板によると松尾神社です
扁額には鵞(?)松神社とあります。茨城縣神社誌にも境内社は松尾神社とあるので、松尾神社の別名になるんでしょうか?
此方は文字が消えてしまっておりなんとも言えませんが、茨城縣神社誌では子安神社となっています
社殿前の手水鉢には『石神大明神』と記されています。ただ、こちらは大正時代に合併された石上神社のものなのでしょうね
御朱印は兼務されている素鵞神社さんでいただけます
これから竣工される社殿や例祭、是非また参拝していきたいと思います!その際には、また追記していきますね( ´ ▽ ` )ノ
0 件のコメント:
コメントを投稿