茨城県つくば市筑波に鎮座する『筑波山神社(つくばさんじんじゃ)』のご紹介です
筑波山神社は古代より信仰の対象となった筑波山に鎮座しています。その山容が二峰相並ぶため、自然と其々に筑波男ノ神(つくばおのかみ)、筑波女ノ神(つくばめのかみ)が祀られます。延喜式神名帳では、常陸國筑波郡男ノ神が名神大社に、女ノ神が小社に列格しています
御祭神は前述の通り、筑波男ノ神:「伊奘諾尊(いざなぎのみこと)」、筑波女ノ神:「伊弉冊尊(いざなみのみこと)」になります
御由緒として、筑波山信仰自体は関東地方に人が住む頃から始まったようです。崇神天皇の御代、今から二千年前に、筑波山を中心として筑波、新治、茨城の三国が建置されると、物部氏の一族である筑波命(つくばのみこと)が筑波国造に命じられると、筑波一族が祭政一致で筑波山神社に奉仕しました中世以降には仏教の隆盛により筑波山にも堂塔が建ち、法相宗の徳一という僧により、現在の筑波山神社一帯に『筑波山寺』、後の『筑波山中禅寺』を開きます。本尊として、筑波男ノ神である伊奘諾尊の本地仏である千手観音を安置した伽藍を建て、此処から神仏習合の筑波両大権現が祀られた歴史が始まり、神と仏のおわす山として、一大霊場として栄えていきます江戸時代には江戸の鬼門を守る神山として神領千五百石を献じています明治維新後には国策により神仏分離令が出され、神社のみとなります。その際には中禅寺の多くの建造物が周囲の仏閣へと流出してしまったそうです明治六年には県社に列格しています
さて、神社です
神社は筑波山中腹に鎮座しています
朱色の大鳥居がお出迎えです
社頭です参拝したのは休日であり、多くの参拝者が引っ切り無しでした
参道です
御神橋です寛永十年(1633)十一月に、徳川三代将軍家光公が寄進したもので、元禄十五年(1702)六月、五代将軍綱吉公が改修しています
普段は通る事は出来ませんが、春秋の御座替(四月一日・十一月一日)と年越祭(二月十日・十一日)には、一般の参拝者も通る事が出来るそうです
此方は隣の神橋です
蛙が居りました
社号標です
石段です
石段下の狛犬です
途中には立派な杉の木と、『特産新都之碑』です
スイカ、の石像です
石段を登り切ると、とても立派な随神門です
初代の楼門は寛永十年十一月に家光公が寄進しましたが、宝暦四年(1754)に焼失し、同年に再建しています。しかし、明和四年(1767)に再び焼失してしまい、文化八年(1811)再建を果たし、現在に至っています
神額ですが、明治以前には『中禅寺』の額がかかっていたそうです現在は『中禅寺』の額は、坂東市の万蔵院に保管されています
此方も、現在は筑波山に所縁の深い倭建命と豊木入日子命の神像を安置されていますが、以前は立派な仁王像が納められていました仁王像は現在、同じつくば市の東福寺に移されています
拝殿です
当初の筑波山神社は今のような形では無く、あくまで男体女体の両本殿があり、拝殿は無かったと伝わっています。丁度この拝殿のある場所に、中禅寺の大御堂があり、神仏分離令の後、大御堂は破却されてしまいます。明治八年、同じ場所に拝殿を建立したとのことです
拝殿は昭和三年に増築、改修され現在に至ります
両本殿は山頂にある為、拝殿のみになります
参拝日には結婚式とドラマの撮影をやっていて、拝殿前は中々のカオスっぷりでした(^_^;)
神紋は徳川家所縁の神社ということもあり、「三つ葉葵」ですね
拝殿前の狛犬です。躍動感に溢れています(^_^)
拝殿のそばには末社として厳島神社、春日神社、日枝神社、があり、三社の本殿と、春日神社日枝神社両社拝殿ともに寛永十年の造営で、茨城県の指定文化財となっています
春日神社日枝神社両社拝殿です
春日神社本殿です
日枝神社本殿です
厳島神社本殿です
どれも立派な作りで、見ていて飽きません(^^)また、明治末期の「神社合祀」政策の動きの中、筑波山中にあった百八社の内八十一社が春日神社に合祀され、筑波町内の別雷、愛宕、八幡、日枝、武頭、浅間の各神社が日枝神社に合祀されたそうです
此方は随神門向かって右手の「大杉」で、樹齢八百年、筑波山神社境内の中でも代表的な老杉だそうですちなみに古地図を見ると、この位置には大きな鐘楼があったようです
この日には、「ガマの油売り」の口上をやっていたようです
拝殿裏手の「朝日稲荷神社」、通称出世稲荷です
御朱印は社務所で頂けます
また、此方はオリジナルの御朱印帳があります
普通のものよりもちょっと大きめです
長くなりそうなので、其の弐ヘ続きます
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