2013年7月8日月曜日

靜神社(那珂市)

茨城県那珂市静に鎮座する「靜神社(しずじんじゃ)」のご紹介です

此方は延喜式神名帳に記された、久慈郡七座の一、名神大社になります
また、常陸國一の宮である鹿島神宮に次ぎ、常陸國二の宮でもあります
主祭神は武葉槌命、相殿神として手力雄命、高皇産霊命、思兼神になります

また、以前には主祭神が手力雄命であった時期もあるようです。その事を宮司さんに伺った所、そもそも以前は四つの宮があり、其々独立した祭祀を行っていたのではないかとの事です

主祭神である「武葉槌命」は別名を「倭文神(しどりのかみ)」と呼び、織物の祖神としての性格を帯びています。武神としての武葉槌命については、同じ県内の日立市鎮座「大甕倭文神社」があります

御由緒として、創建年代は不詳との事ですが、嘉祥三年(850)に奉幣の記録が残されており、それ以前の創建になると考えられています
当社の鎮座地周辺は当社を中心として神社が三社、寺院が七社の一大霊場を形成していたそうです
現在社宝として伝わっている「銅印」は奈良時代の作と言われ、「静神宮印」と彫られています。この時代"神宮"と呼ばれていたのは、伊勢と鹿島、香取、石上だけであったので、相当重要な神社であった事は確かのようです
鹿島神宮、香取神宮と共に、東国三守護神として崇敬を集め、豊臣氏や徳川氏から寺領の寄進があったことも記録されています
江戸時代になると徳川家の祈願所に定められ、水戸藩主徳川光圀公が社殿の修営を行っています。また、この修営時に、本殿脇の大きな桧の根元より前述の銅印が見つかり、黒塗りの箱に光圀公自ら「宰相中将水戸源臣光圀謹記」と記し社宝として社殿に納めたと伝わります
天保十二年(1841)、火災により社殿や社宝の多くを失ってしまいます。社殿は天保年間、九代藩主家斉公により再建され、現在に至ります
旧社格は県社になります

鎮座地である『静(しず)』は、常陸国風土記によると、『久慈の西、静織(しどり)の里は、昔まだ綾を織る機を知る人がいなかった時に、初めてこの里で織った。このためにこの里を静織の里というようになった。』と地名の由来が記されています。また、倭文神の「倭文」は、「しとり」「しどり」「しず」とよび、倭文=静と転訛したとの説もあるようです
白い糸から白い織物になっていく様は、静森の緑の丘を這っている白蛇のように見えたことから、静神社のお使い神は白蛇であると言われるようになったそうです。後述する絵馬堂に奉納されている絵馬の多くには、白蛇が書かれています


一の宮である鹿島神宮との関係も深く、現在でも鹿島神宮社殿の前には武葉槌命を祀った高房社がありますが、鹿島神宮参拝前には高房社にお参りする風習があるそうです。また、鹿島神宮奥宮建立の際には靜神社の木が用いられたとのことです



さて、神社です(今回の写真には平成二十一年三月と平成二十五年四月のものになります)

神社は国道118号線から「静入口」という交差点を静方面へ
神社鎮座地横には「静峰ふるさと公園」が整備されています

神社の一の鳥居前に駐車場がありますが、神社横に出る駐車場もあるようです

社頭です

大きな一の鳥居です

社号標です

此方は「茨城百景」の一つでもあるそうです

手水舎です

立派な神橋です

此方は昔の社号標のようです

白い一の鳥居とは対照的な、金属製の二の鳥居

此処から石段が続きます

参拝の前日は全国的に春の爆弾低気圧で大荒れに荒れた日でした。そのままこの日も強風が吹き荒れていましたが、この辺りで風が止みました。それと同時に怪しい色の雲がヽ(´o`;

石段を抜けると木々が開けますが、同時にポツリポツリと降るものが・・・

気を取り直して神社へ

殆ど目立ちませんが、矢張り石灯籠が倒れていたりと、震災前とは少し様子が違いますね

神門前には織物の神様らしく、「織姫」の像があります

此方は以前に常陸大宮市の立野神社でもご紹介した佐竹七福神の一神、恵比寿様です

この切り株は、「靜神社のヒノキ」として偉容を誇ったヒノキのあとです。高さ30m、幹回り7mで、1991年当時、桧としては全国八番目だったそうですが、病気には勝てず、現在はその在りし日を忍ばせるばかりです

狛犬です

神門です

神門には絵馬堂が比翼に配されており、奉納絵馬が展示してあります

拝殿です

現在の社殿は拝殿、本殿ともに天保年間(1830-1844)に再建のものになります

神紋は「桜」ですね

本殿は神明造です

本殿横には蘇鉄(でいいんですかね?)が植えられていて何となく南国な感じ

本殿横には境内社が配されています

此方は神輿殿です

この切り株は、拝殿向かって左手前にあった杉の元御神木です

前述した天保の火災の折に枯れてしまいましたが、当時で樹齢千年という古木で、この木の周囲を千度回る慣習があり、`千度杉´と呼ばれていたそうです

本殿右手からは末社の「手接足尾神社(てつぎあしおじんじゃ)」への参道が続きます

「手接足尾神社」は昔から手と足腰の安全、健康の守護神としての信仰が厚く、祈願の際に「手差し」や「草履」を供えて願をかける習慣が残っているそうです。県内石岡市には足尾山と足尾神社があり、そこからの分祀になるんでしょうかね?

細い山道の参道は、参拝時には途中に倒木があり、意外と大変な感じです

社殿です

石岡の足尾神社と同じく、履物類や松葉杖などが奉納されています

手接足尾神社側からの参道入口です

 

御朱印は社務所で頂けます

神社に隣接する静峯公園は2000本の八重桜が植えられ、春には「八重桜まつり」も開かれているなど、長閑な自然を楽しめる場所なので、足を伸ばして見てはいかがでしょうか?

 

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