2012年6月20日水曜日

金山別雷神社(つくば市)

茨城県つくば市上郷に鎮座する金村別雷神社(かなむらわけいかづちじんじゃ)のご紹介です

当社は小貝川のほとりに鎮座し、茨城百景の一つに数えられています。また、水戸の別雷皇大神、群馬県板倉町の雷電神社と当社で、関東の三大雷神としても言られている神社です

御由緒としては、桓武平氏の一族である豊田公が霊夢に感応し、承平元年(931)三月十五日に、京都上賀茂より別雷神社の御分霊を守護神としてこの地に奉斎したと伝えられています、とのことです。

周囲の方達は、金村様、雷神様と呼び親しむ古社です。

御祭神の別雷大神(わけいかづちのおおかみ)は雷を支配統御する神で、霹靂一声正邪を正し悪事災難を消滅させる荒魂と、旱天に慈雨を恵み、万物に生気を与える和魂の剛と温両面の神格を有することで知られ、当社が「雨乞い」の神として絶大な崇敬を受けている所以のようです。

※今回の写真には、3月参拝時(晴れ)と6月参拝時(雨)の二種類を使用しているので、写真によって雰囲気が違うかもしれませんが、悪しからず (; ̄O ̄)

さて、神社です。

こちらは小貝川のほとりにあるのですが、何気に場所が分かり辛いです。神社の入り口には橋がかかっていますが、残念ながら現在は封鎖されており、川沿いの細い道か、曲がりくねった住宅街を抜けてくるかの二者択一だと思われます。茨城百景の風景を視野に入れながらの道行きの方が、風情ありますかね?

入り口は広い空間に一ノ鳥居と「郷社 金村別雷神社」と書かれた社号標、その先に広い参道が続きます

参道途中には立派な古木と石造りのベンチがあります。もしかしたら、古い鳥居を再利用したんでしょうかね

ニノ鳥居から拝殿までは石畳の参道が続きます。綺麗に掃除されたそこは、歴史と共に神聖な雰囲気を醸しだしています

拝殿です。明治十二年再建で市の有形文化財です。その他、神楽殿、回廊も同じく市の有形文化財です。

神楽殿です
扁額です

蟇股の龍の彫刻、色鮮やかな色彩です。迫力もありますね

神紋は「つぐみ龍」と言うそうです。初めて見ました。

このつぐみ龍には言われがあります。当社創建の豊田公の一族である豊田四郎将基が、源頼義、義家父子の征奥軍に副将として従軍、各地で大功をたてる。その中の衣川の戦いで苦戦している最中に、旗印の神竜が橋を出現させ、この橋を一気に駆け抜け堅陣を壊滅させたと言います。

この神旗が後冷泉帝から下賜された「つぐみ龍」紋の神旗で、現在当社の重宝となっているということです。

こちらは勇ましい龍ですね。これは「龍」紋になるんでしょうか、それとも別な名称がつくのですかね?

本殿には覆屋がかかっています。

本殿は一間社流造で、宝永五年(1708)の建立です。まだ朱色の色彩が残っています。彫刻も見事ですね。きっと建立当時はもっと色鮮やかだったのでしょう、見たかったなぁ(^^)

そしてここにもありました、雷様の彫刻です。ただ、以前に見かけた月読神社や一ノ矢八坂神社と違い、ここは本殿にありますね。う〜ん、ここの雷様も、深い意味はないのかなぁ(´・_・`)


本殿の横手には小貝川へ直接降りれる場所があります。ここで禊などするのでしょうか?

前回参拝時、巡回にきていた五十代位の地元の消防士の方といろいろ話をしていると、「子供の時に神社裏手の沼に龍が住んでいると聞いたことがあるよ」という話を聞きました。なぬ、龍となΣ(・□・;)

前回参拝時には神社裏手は若干乾き気味の水たまり状態でしたが、今回は梅雨時ということもあり、しかも小雨模様、もしや何かあるかも…などと神社裏手に回り、前回よりも水の張った沼を視界にいれた瞬間、

「キョアッ!」

と言う聞いた事も無いような奇声が響き本気でビビるΣ(゚д゚lll)あぶねぇ、買ったばかりのカメラを水中に落としそうになったよ^^;

水面には大きな波紋が出来てるとこをみると、大きなカエルだったんでしょう、きっと。そんな奇声を発して逃げたくなるほどだったのか、カエルよ(´Д` )

こちらは、地域の間引きの習慣を正し、農業を奨励した「竹垣代官徳政之碑」です。碑の側には、まあ、アレですよね、男根ですね。こちらの碑に参拝すると、子宝に恵まれるそうです

ちなみに男根の石像は、近くにもう一つありました

御朱印は社務所でいただけました。しっかりと御朱印にもつぐみ龍が押印されていますo(^▽^)o

 

2012年6月13日水曜日

大宝八幡宮(下妻市)

茨城県下妻市大宝に鎮座する大宝八幡宮のご紹介です

創建は大宝元年(701)で、藤原時忠公が常陸国河内郡へ下向の際に、宇佐神宮を勧請創建したのが始まりと言われ、関東では最古の歴史を誇る八幡宮です
また、平将門公が戦勝祈願のために度々参拝し、当社の巫女によって新皇の位を授けられたと伝えられるなど、将門公縁のある神社でもあります

御祭神は誉田別命、足仲彦命、気長足姫命の三柱の神様です。

前回参拝した時には平日の夕方であったため、ほとんど参拝している方がいませんでしたが、今回は土曜日のお昼時、駐車場にはあふれんばかりの車、車、車!っていうか溢れて路上駐車している車もいます。もしかして例祭なのかな?
すると大鳥居の下に、見たことある幟が!

『高砂部屋』『錦戸部屋』と書いてあります。

どうやら僕は知りませんでしたが、こちらでは毎年この時期に、大相撲の高砂部屋と錦戸部屋が合宿をしにくるそうなのです。そしてこの日はわんぱく相撲下妻場所も行なっていて、神社境内は大盛況の状況だったのです(^O^)
確かに前回、大きな相撲の土俵があることは見ましたが、まさかお相撲さんの合宿をやっているとは知りませんでした^^;

前回参拝時の相撲場

参拝時にはわんぱく相撲の表彰式も終わった後でした

相撲は神事、と言うのは知っていますが、神社の中を歩く力士の方の姿が映える映える。改めて相撲が日本の国技であり、神社とも密接に関わっていることを体感した瞬間でした。

さて、神社です。大鳥居をくぐると件の相撲場があります。

大きな随身門です。昭和天皇御座位六十年を記念して建立された神門です。神仏習合の名残なのでしょう、中には金剛力士像が睨みつけます。

随神門を抜けた参道の両側には、何対もの狛犬が控えます。

ちなみに今回の参拝時には同じアングルでも木々の枝葉で随分印象が様変わりしました。生命力に溢れているという感じです

手水舎です。賑やかですね、これは(^_^)
大きなお釜ですね、何でしょうか?

拝殿の真ん前、ど真ん中には大きな石灯籠が!何か由来があるんでしょうかね?

拝殿の前にもニ対の狛犬。うち一対は「平成狛犬」との名で、撫でる事で八幡大神のご利益があるそうです。

それにしても、ユニークなお顔です(^^)

扁額です

神紋は「菊紋」と「左三つ巴」のようです

本殿です。現在の建物は天正五年(1577)、下妻城主多賀谷尊経が再建したもので、三間社流造です。桃山時代の地方的建築の有様を伝える貴重な資料として、国の重要文化財に指定されています。

派手さはないですが、渋みというか、重厚な感じが伝わります

こちらは本殿向かって左側にある「若宮八幡宮」です。源頼朝が、奥州征討の達成を期に、文治五年(1189)に勧請させた八幡宮です。御祭神の若宮様は十六代仁徳天皇の事で、ご祭神の八幡大神こと十五代応神天皇はその父親で、足仲彦命こと十四代仲哀天皇も祀っているので、親、子、孫の三代をお祀りしている事になるそうです

広い境内には多くの摂社、末社があり、その他にも七福神がいたり、大きなカエルがいたり、アジサイ園があったりと、見所が満載です!今回は時間がなくて見れなかったけど、きっと紫陽花が綺麗なんでしょうね(^∇^)

参拝が終わり御朱印をいただきに社務所へ。どうやら力士の方々の宿舎は社務所の一部にあるらしく、御朱印を待っている間にも何人も出たり入ったり。しかし大きいです、何もかもが僕とは規格外の大きさですヽ(;▽;)ノ

こちらはオリジナルの御朱印帳があり、八幡宮専用の御朱印帳にしようと密かに狙っていたので、無事ゲットできてとても嬉しかったですo(^▽^)o

初穂料を納めようとしたら、「ちょっと汚れているんで、お代は結構です」とのお言葉。確かにちょっと、本当にちょっとだけ汚れている、というより焼けちゃってるんです。けど、本当に気をつけないと気づかない程度、何より使って行けば汚れることもありますし、特に気にしないので、初穂料はお賽銭箱にいれさせて頂きました

あぁしかし、紫陽花見たかったなぁ(´・_・`)