当社は小貝川のほとりに鎮座し、茨城百景の一つに数えられています。また、水戸の別雷皇大神、群馬県板倉町の雷電神社と当社で、関東の三大雷神としても言られている神社です
御由緒としては、桓武平氏の一族である豊田公が霊夢に感応し、承平元年(931)三月十五日に、京都上賀茂より別雷神社の御分霊を守護神としてこの地に奉斎したと伝えられています、とのことです。
周囲の方達は、金村様、雷神様と呼び親しむ古社です。
御祭神の別雷大神(わけいかづちのおおかみ)は雷を支配統御する神で、霹靂一声正邪を正し悪事災難を消滅させる荒魂と、旱天に慈雨を恵み、万物に生気を与える和魂の剛と温両面の神格を有することで知られ、当社が「雨乞い」の神として絶大な崇敬を受けている所以のようです。
※今回の写真には、3月参拝時(晴れ)と6月参拝時(雨)の二種類を使用しているので、写真によって雰囲気が違うかもしれませんが、悪しからず (; ̄O ̄)
さて、神社です。
こちらは小貝川のほとりにあるのですが、何気に場所が分かり辛いです。神社の入り口には橋がかかっていますが、残念ながら現在は封鎖されており、川沿いの細い道か、曲がりくねった住宅街を抜けてくるかの二者択一だと思われます。茨城百景の風景を視野に入れながらの道行きの方が、風情ありますかね?
入り口は広い空間に一ノ鳥居と「郷社 金村別雷神社」と書かれた社号標、その先に広い参道が続きます
参道途中には立派な古木と石造りのベンチがあります。もしかしたら、古い鳥居を再利用したんでしょうかね
ニノ鳥居から拝殿までは石畳の参道が続きます。綺麗に掃除されたそこは、歴史と共に神聖な雰囲気を醸しだしています
拝殿です。明治十二年再建で市の有形文化財です。その他、神楽殿、回廊も同じく市の有形文化財です。
神楽殿です
扁額です蟇股の龍の彫刻、色鮮やかな色彩です。迫力もありますね
神紋は「つぐみ龍」と言うそうです。初めて見ました。
このつぐみ龍には言われがあります。当社創建の豊田公の一族である豊田四郎将基が、源頼義、義家父子の征奥軍に副将として従軍、各地で大功をたてる。その中の衣川の戦いで苦戦している最中に、旗印の神竜が橋を出現させ、この橋を一気に駆け抜け堅陣を壊滅させたと言います。
この神旗が後冷泉帝から下賜された「つぐみ龍」紋の神旗で、現在当社の重宝となっているということです。
こちらは勇ましい龍ですね。これは「龍」紋になるんでしょうか、それとも別な名称がつくのですかね?
本殿には覆屋がかかっています。
本殿は一間社流造で、宝永五年(1708)の建立です。まだ朱色の色彩が残っています。彫刻も見事ですね。きっと建立当時はもっと色鮮やかだったのでしょう、見たかったなぁ(^^)
そしてここにもありました、雷様の彫刻です。ただ、以前に見かけた月読神社や一ノ矢八坂神社と違い、ここは本殿にありますね。う〜ん、ここの雷様も、深い意味はないのかなぁ(´・_・`)
本殿の横手には小貝川へ直接降りれる場所があります。ここで禊などするのでしょうか?
前回参拝時、巡回にきていた五十代位の地元の消防士の方といろいろ話をしていると、「子供の時に神社裏手の沼に龍が住んでいると聞いたことがあるよ」という話を聞きました。なぬ、龍となΣ(・□・;)
前回参拝時には神社裏手は若干乾き気味の水たまり状態でしたが、今回は梅雨時ということもあり、しかも小雨模様、もしや何かあるかも…などと神社裏手に回り、前回よりも水の張った沼を視界にいれた瞬間、
「キョアッ!」
と言う聞いた事も無いような奇声が響き本気でビビるΣ(゚д゚lll)あぶねぇ、買ったばかりのカメラを水中に落としそうになったよ^^;
水面には大きな波紋が出来てるとこをみると、大きなカエルだったんでしょう、きっと。そんな奇声を発して逃げたくなるほどだったのか、カエルよ(´Д` )
こちらは、地域の間引きの習慣を正し、農業を奨励した「竹垣代官徳政之碑」です。碑の側には、まあ、アレですよね、男根ですね。こちらの碑に参拝すると、子宝に恵まれるそうです
ちなみに男根の石像は、近くにもう一つありました
御朱印は社務所でいただけました。しっかりと御朱印にもつぐみ龍が押印されていますo(^▽^)o
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