茨城県笠間市稲田に鎮座する稻田神社(いなだじんじゃ)のご紹介です
御祭神は神社名の通り「奇稲田姫命」になります。延喜式内社の名神大社という社格を持つ古社です。また、延喜式神名帳に記された神社の中で唯一奇稲田姫命を単独で主祭神として祀る神社でもあります。
詳しい創建年代は不詳ですが、続日本紀にその名前が記されている事から、延暦十六年(797)には創建されていたと考えられています。
当社は奇稲田姫命を単独で祀りますが、同時に摂社として、夫である素戔嗚尊を祀る八雲神社、母である手摩乳命を祀る手摩乳神社、父である足名椎命を祀る脚摩乳神社があり、稻田神社を含め、四宇の神籬として重要視しているとのことです。
中世には領主の笠間市の庇護を受け有力な神社として栄えましたが、中世末期の二度の火災で衰退、慶長七年(1602)に再興を果たしますが、元禄八年(1695)に徳川光圀公が参拝したおりに、
「此やしろは神名帳にものりて尊き社なるを、かやうに零落し候段、痛ましき御事也」
と、その衰退ぶりを憂う状態だったそうです。
その後、将軍家の繁栄と天下泰平を祈願し四神旗を寄進しています。
神社は更に弘化二年(1845)、民家の火災に巻き込まれ焼失しますが、四神旗は無事で現在は茨城県の指定文化財となっています。
さて、神社です。場所は国道50号線から脇にちょっと入ったところで、白い大鳥居と「縣社 稻田神社」の社号標があります。
勉強不足もあり、結構通る道のすぐそばに、しかも名神大社の神社があるなんて、ちっとも知りませんでした^^;
大鳥居を過ぎると、神社へと向かう階段があり、階段途中には「延喜式内名神大社 稲田神社」の社号標があります。
境内です。拝殿と、向かって左手に渡り廊下でつながった建物があります。向かって右手には広い空間があります。すぐ目前の国道は交通量も多いのですが、嘘のような静けさです
境内は綺麗に整備されていますが、所々地震の影響で、灯篭が何本か倒れていました。
扁額です
神紋は「左三つ巴」と、五円玉でお馴染みの「抱き稲」です
拝殿です。弘化二年の焼失の3年後に再建され、現在に至っています
本殿です。華美な彫刻はありませんが、落ち着いた雰囲気が静かな境内にぴったりとあいます。
拝殿前には「復興奉賛金にご協力下さい」と書いてあり、そんなにひどい被害は見た感じないよなぁと思っていましたが、拝殿の右手側に回ってビックリ!
玉垣が半分側ありませんでした。う〜ん、痛々しい…
こちらは本殿右手にある摂社の八雲神社です
手摩乳神社と脚摩乳神社は、それぞれ拝殿の左右前方に配されています。しかしこれで"てなづち""あしなづち"って読むんですね、参拝時には読めずに家に帰って調べて初めて分かりました(^_^;)っていうか、何となく察しろよ(´Д` )
当社にはその他にもいくつかの末社がありますが、特徴としてどの屋根も水色に塗られています。何かの由来があるんでしょうかね?
こちらも末社なんでしょうか、神社隣にある運動場のそばに大山祇神社の石碑がありました
参拝終了後、御朱印をもらいに宮司さん宅へ。初穂料を納めようとすると、大丈夫だからと固辞されてしまいました。と、言うことで、いつもの御朱印代にプラスαして、復興奉賛金として受け取って頂きました。本当にちょっとの金額ですが、由緒ある古社が少しでも早くもとの姿を取り戻せますように( ̄人 ̄)
その後、宮司さんと世間話、特に甲子園の話に花が咲いてしまいました^^;僕の母校の鉾田一高が甲子園出場した時の話とか、まぁ、僕がいた時には既に遥か昔の栄光でしたけどね(^_^;)しかし、こんなところで母校の名前が出るとはと、ちょっとビックリでした( ̄▽ ̄)
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