先日の紹介の通り、今回は鴨大神御子神主玉神社のご紹介、後編です!
こちらの神社は、通称「鴨神社」と呼ばれます。
延喜式内小社、新治郡三座の一として古い歴史を持ち、佐竹氏、足利氏、宍戸氏などの崇敬を集め、特に佐竹義重は永禄十二年(1569)八月社殿修営をし、子の義宣の名弘め式を行うなど、佐竹氏所縁の神社としての側面を持ちます。
神社は周囲が田んぼの中、こんもりとした山の中に鎮座しています。
神社入口です。当社には鳥居がありません。その代わりに榊と檜の神門が参拝者を出迎えます。
鳥居がないのには伝承があり、かつて源頼義が勅命で奥羽の反乱の鎮圧に向かう際、当社に参拝、大願祈願、戦勝祈願を行いました。その後、奥羽平定の帰路に当社の社殿を修営しましたが、鳥居は新造しなかった為、以後鳥居のない神社となったそうです。
と言うか、ここで書いていて気づきましたが、式内社に行くと源頼義とのエンカウント率が高いですね( ´ ▽ ` )ノこういう歴史の偉人の道筋を調べて見るのも面白そうですね
榊と檜の神門を抜け階段を登ると広い境内が目に入ります。鬱蒼とした木々に囲まれたそこは、元々人気の少ない周囲の雰囲気もあいまって、軽く別世界に来たのかなと感じてしまいます。
拝殿です。
扁額です
神紋は佐竹氏所縁であり、佐竹氏の家紋である「日の丸五本骨扇」と、「左三つ巴」です。
鰹木にも三つ巴紋が見られます
その他に、拝殿の懸魚には不思議な形の巴紋が描かれていますね。
本殿です。戦国大名の手で修営されたこともあるからか、何だか重厚な、ドッシリとした印象を感じさせます。
本殿の神紋にも「五本骨扇」がありますが、こちらには日の丸がありませんね
本殿の脇障子には大幣の彫刻がありました。派手な彫刻はたびたび見かけますが、大幣の彫刻は初めて見ました
件の摂社である「日吉大社」と「鹿島神社」です。
末社で鹿島神社なら茨城県の神社には数多有りますが、摂社で鹿島神社何ですよね。やっぱり「武甕槌命」と言う名前が気になります(^_^)
当社は近くの式内社、磯部稲村神社の宮司さんが兼務しておられて、御朱印はそこで頂く事が出来ましたo(^▽^)o
主玉神の事は、またじっくりと思いを巡らせてみようと思います( ̄▽ ̄)今回は取り留めない考えで終わってしまったので^^;
って言うか仕事しろよ、お主(´Д` )
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