2013年9月1日日曜日

いざ、伊勢の旅!!その捌

伊勢の旅、続きです

今回で二泊三日の伊勢の旅、二日目が終了になります…と言うか九月になってしまいましたΣ(・□・;)本来は八月中にバシッと終わらせるはずだったんですが(ー ー;)まあ、取り敢えず行ってみましょう( ´ ▽ ` )ノ

 

椿大神社の参拝が終わり、もう一つの伊勢國一宮である都波岐奈加等神社(つばきなかとじんじゃ)へと向かいます

実はこの時点では同じ一宮の論社であり、そんなに離れていないだろうと思っていたら、20㎞ぐらい離れてるんですね(;・∀・)

都波岐奈加等神社は都波岐神社(つばきじんじゃ)と奈加等神社(なかとじんじゃ)の二つの神社になります
都波岐神社、奈加等神社ともに延喜式内小社で、都波岐神社が伊勢國一宮の論社になっています

御祭神は都波岐神社が猿田彦大神、奈加等神社が天椹野命(あめのくぬのみこと)と中筒男之命になります

御由緒として、雄略天皇二十三年(479)三月、猿田彦大神八世の孫である伊勢国造高尾束命が勅を奉じて二社を造営、「都波岐神社」「奈加等神社」と称したのが始まりとされているそうです
平安時代には弘法大師が参篭し、室町期までに時の天皇、将軍の参詣や奉幣など栄えるものの、他の伊勢の神社と同じく、織田信長の伊勢平定の折に兵火にかかり、社殿以下を焼失しています
寛永年中に、神戸城主一柳監物により社殿が再建され、江戸幕末期には摂政家である鷹司家の執奏社として大宮司職が置かれます
明治に入ると、都波岐神社、奈加等神社ともに県社に列格します
平成九年には不審火により拝殿と祝殿が不審火で焼失しますが、翌年に新拝殿が再建されています


さて神社です

神社は周囲を住宅に囲まれ、まさに町の鎮守と言った趣き

社頭です

社号標はちゃんと伊射波神社、奈加等神社で別々なんですねぇ

境内はこぢんまりとしてますが、喧騒から離れ、ゆったりとした時間が流れている、そんな感じです

拝殿です

境内に比して大きな拝殿は、前述の御由緒で書いたように、平成十年再建の新しいものになります

本殿です

社殿は一つで、相殿の形を取っています

写真では分かりませんが、本殿瑞垣内、本殿前には境内社である小川薬王子社、神明春日社が鎮座しています

御朱印は社務所で頂けます

此方では都波岐神社と奈加等神社の御朱印を別々に頂く事も出来ますし、都波岐奈加等神社でも頂く事が出来ます

見辛いですが、大き目の一宮御朱印帳には都波岐奈加等神社で頂きました


さて、都波岐奈加等神社の参拝終了が夕方4時、真夏で日が高いとは言え、今日はこれで終わりにしようかなぁと思いましたが、、、

続きましては伊賀市一之宮に鎮座の「敢國神社(あえくにじんじゃ)」です

都波岐奈加等神社からは約50㎞、早くとも一時間はかかる様子。しかも、敢國神社の社務所は夕方四時には閉めてしまうそうで、既にこの時点でタイムアップ\(^o^)/
と、此処で普通なら諦めるんですが、電話をしてみると、この日は会議をしてるので六時ぐらいまでいるんだとかΣ(・∀・;)

う~ん、縁があるのか、単に自分が図々しいのか、兎に角行ってみましたヽ(=´▽`=)ノ

敢国神社は伊賀國一宮で、延喜式神名帳に記された式内大社でもあります

御祭神は主神として大彦命、配神として少彦名命と金山比咩命が祀られています

御由緒として、創建は斉明天皇四年(658)になります。祭神である大彦命は四道将軍として北陸の平定後、一族を率いてこの地に移り、伊賀国の開拓を行います。伊賀国祖神として、その子孫が伊賀国中に広まっていきます。また、当地には渡来氏族である秦氏が多数居住していました。その秦氏が祀っていたのが少彦名命です。
創建する際に少彦名命のお社が現在の南宮山の山頂にあったのを、現在地に遷して、大彦命と少彦名命の二柱の神様を祀り、敢國神社は創建されます。
山頂の少彦名命の社殿跡地には、美濃国南宮社の祭神である金山比咩命を勧請します。この頃に「南宮山」との呼び名がついたと言われています。その後、貞観二年(977)、金山比咩命の社殿が激しく鳴動した後に、社殿前の御神木に「輿安倍久爾神同殿」の八文字が虫食い痕として出現します。この神意に従い、金山比咩命の遷座合祀が行われ、三神をもって敢國神社として至ります
延喜式神名帳には大社に列し、伊賀国一宮として崇敬され、明治四年には国幣中社に列格します

さて神社です

既に夕刻が迫り、車を停めた時にはひぐらしの鳴き声が響き渡っています

此方は表参道です


20mほど間隔を開けて裏参道が続いています

行きは表参道から向かいます

社頭です

社号標です

境内です

手水舎です

石段を登るとすぐそこに拝殿が迫ります

扁額です

拝殿の向こう、少し高い場所に幣殿が続き、更に1mほど上に本殿が鎮座しています

殆ど見えませんが、鮮やかな朱塗の御社殿のようです

本殿の左右には摂社「六所社」と「九所社」が鎮座しています

境内右手にある此方は「桃太郎岩」です

南宮山上の浅間社から遷したと伝わる霊石で、安産守護、子授けの霊験があるそうです。でも、何でまた桃太郎なんでしょうね?

絵馬殿と思われる建物の中に掛かっていたこれは、神紋の説明か何かでしょうか?
帰りは裏参道を通って行きます。参道に沿って、境内社が鎮座しています

若宮八幡宮、子授社、神明社です

子授社と神明社の間にある石段を登ると、楠社と結社があります

楠社です


結社です


参拝者名簿があり拝見すると、参拝者がかなり多いのが伺えました。自分もついつい参拝に力がこもってしまいます(^∇^)

此方は大石社です

狛犬ならぬ狛しゃちほこ?がお出迎えです

表参道沿いには市杵島姫社があります


こちらは屋根まで朱塗ですね

御朱印は社務所で頂けます

本来は四時に閉まってしまうそうですが、今回はご好意に甘える形で五時過ぎでしたが頂くことができました。感謝感謝ですm(_ _)m

 

参拝を終える頃には夕刻を過ぎそうな時間になり、二日目はここまで。伊勢市内へと向かいましたとさ

 

さてさて、ダラダラとここまでやってきた伊勢の旅ですが、次回で終わりになります、と言うか終わらせます( ̄^ ̄)ゞ

ということで、もう暫しお付き合い下さいませ(^^)/~~~

 

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