さてさてさて、駄羅駄羅と続けてまいりました伊勢の旅も今回で最後にしとこうと思います
三日目早朝、まずは人の少ない内宮をゆっくり散策したいということで、まずは皇大神宮へ!
しかし甘かったです。五時半に到着した時にはもう団体さんがいる状況でした。スーツ姿の人も多い所を見ると、出勤前に参拝でしょうか?何か、凄い羨ましいですヽ(=´▽`=)ノ
朝日を浴びた内宮は、それは神々しいものでした
内宮参拝後、内宮別宮である「倭姫宮(やまとひめのみや)」へ向かいます
倭姫宮はその名の通り、伊勢神宮を創建した倭姫命を祀った神社です
倭姫命は皇太神宮の鎮座の後、神宮の祭祀と経営の規模を確立されるなどの大きな功績を遺し、その御徳により大正十年に内宮別宮として創建の許可がされ、同十二年に御鎮座歳が執り行われた、他の別宮、摂社、末社と比べとても新しい神社となります
鎮座地は倉田山と呼ばれる場所で、周囲には神宮徴古館・美術館・農業館や皇学館大学などがあります
行きは裏参道より入って行きました
夏の日差しも、木々により柔らかに感じられました
倭姫宮です
帰りは表参道を抜けて行きましたが、途中に大きな石段があり、伊勢市内の他の別宮に比べると、随分規模が大きい気がします
御朱印は宿衛社で頂けます
お昼前になり、いよいよ日差しも強くなってきたので、ちょっと休憩も兼ねて神宮徴古館・美術館・農業館へと向かいます
神宮徴古館・農業館・美術館は「伊勢神宮の歴史と文化を学ぶ」施設で、「神宮徴古館」は神宮の歴史と文化を知れる総合博物館で、「農業館」は日本最初の産業博物館、「美術館」は日本を代表する作家から神宮に奉納された美術、工芸品を展示しています
こちらが神宮美術館
こちらは神宮農業館
神宮徴古館です
何処も興味深く見れましたが、やはりかつての神宝の数々が拝見出来る神宮徴古館は凄いの一言でした(≧∇≦)
次に向かったのは内宮別宮の「月讀宮(つきよみのみや)」です
此方は外宮別宮の「月夜見宮」と字は違いますが読みが同じであり、御祭神も同じ「月讀尊」になります(外宮別宮では月夜見尊の字を当てます)
また、月讀宮の他に、月讀尊荒御魂を祀る「月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)」、天照大神や月讀尊の御親神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀る「伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)」「伊佐奈弥宮(いざなみのみや)」が鎮座し、四つの別宮が並んで鎮座しています
創建年代は明らかではありませんが、延暦二十三年(804)の大神宮儀式帳に「月讀宮一院、正殿四区」としるされており、既にその時代には創建されていたことが推察されています。また、この一文により、以前には四宮一囲いで「月讀宮」と呼ばれていたそうです。貞観九年(867)に伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮に宮号が宣下されます。その後の延喜式神名帳には四宮ともに式内大社に列しています。この時には月讀宮と月讀荒御魂宮が瑞垣を巡らした一院、伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮が一院を形成していたようです
現在のように四宮其々が瑞垣を巡らすようになったのは明治六年からだそうです
本殿が四つ並ぶ様子は圧巻です
向かって右から2つ目が「月讀宮」で、他の本殿よりも一回り大きいです。御祭神は月讀尊です
向かって右端が「月讀荒御魂宮」で、御祭神が月讀尊荒御魂です
左から二番目が「伊佐奈岐宮」で、御祭神が伊奘諾尊です
左端が「伊佐奈弥宮」で、御祭神は伊弉冊尊です
伊勢神宮のHPなどを見てみると、参拝順は月讀宮⇒月讀荒御魂宮⇒伊佐奈岐宮⇒伊佐奈弥宮の順番で参拝するのが一般的なようです
御朱印は宿衛社で頂けます
さて、これで一応内宮、外宮共に別宮の参拝が終了しました。この時点で時間も昼を少し過ぎた頃で、そろそろ茨城に帰る算段もしなくてはならず、あまり移動に時間をかけてもしょうがない
と、いうことでもう一度神宮参拝の開始です!!
まあ、折角遠くまで来たのでね(^_^;)
平日とはいえ、昼下がりの外宮は人だらけでしたぁヽ(^o^)丿
そしてもう一つ、外宮に来たのには理由があり、「せんぐう館」に行きたかったんです
「せんぐう館」は外宮の表参道そばにあります(写真は七月十五日参拝時のものです)
どういった場所かと「せんぐう館」の栞を参照すると、「伊勢神宮を知る、きっかけの場所」であり、「神宮と式年遷宮をわかりやすく展示」している場所になります
第六十二回式年遷宮を記念して平成二十四年に完成した施設で、とにかく綺麗で、分り易く式年遷宮に関わる道具や神事、装束などを展示しています
夏の日差しと参拝者の熱気でうだるような熱さの中、クーラーの効いた館内でゆっくりと鑑賞しました
「せんぐう館」すぐ横には「あこねさん」が鎮座しています
「あこねさん」は「茜社(あこねやしろ)」の通称です
茜社は外宮神苑勾玉池の畔に鎮座しています。創建は一条天皇の御世以前(986年以前)とされ、当初は赤畝の社、赤うね明神と呼ばれていたそうです。現在の「茜社」になったのは江戸か明治初年ということです。
古代には豊受大神宮の摂社として祭事を斎行されていたと伝わり、世の移り変わりの中、産土神となり、伊勢・山田の七産土神の一つとなりました。
御祭神は「天牟羅雲命(あめのむらくものみこと)」と「蛭子命(ひるこのみこと)」になります
また、「豊川茜稲荷神社」が同じ神域内にあります。古くから茜社神域内に稲荷と唱える岩窟があり、宇迦之御魂神を御祭神として祀り、豊川明神、豊川稲荷と崇敬されていったとのことです
社頭です
明治四十二年二月に茜社に合祀されたそうで、伊勢唯一の天神社でもあるそうです
御祭神は菅原道真公です
また、「豊川茜稲荷神社」が同じ神域内にあります。古くから茜社神域内に稲荷と唱える岩窟があり、宇迦之御魂神を御祭神として祀り、豊川明神、豊川稲荷と崇敬されていったとのことです
社頭です
社号標も別々ですね
此方が茜社です
隣の稲荷社と比べると、さっぱりとした感じです
此方は「天神社」です
明治四十二年二月に茜社に合祀されたそうで、伊勢唯一の天神社でもあるそうです
御祭神は菅原道真公です
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