此方の御祭神は平将門公になります
御由緒として、将門公の三女、如藏尼により天禄三年(972)に創建されています
天慶三年に将門公が戦死すると、各地で一族郎党が尽く殺されてしまいます。その中で幼い三女、女公王だけは奥州に難を逃れ、現在の福島県いわき市四ツ倉町の恵日寺の側で庵を結び暮らしたそうです。ある日、霊夢の中に地蔵菩薩に自分の道を示され、地蔵菩薩を信仰し、出家して如藏尼と改め、父の冥福を祈ります。如藏尼三十七歳の時に将門公の三十三回忌にあたり、現在の祝の地に帰り、付近の山林で霊木を得て、一刀三拝し、父の影像を彫り、祠を建てて祀ります。これが、國王神社の創祀になるそうです
彫られた将門公の像は國王神社の御神体となり、現在茨城県の重要文化財に指定されています
当初は表立って敬うことが出来ず、朝敵の認識が解かれたのは徳川の世になってからとのことです。しかし、明治の世になると、朝敵であった点が問題視され、東京の神田明神では将門公が御祭神から外され、当社で行われる供養の行事として始まった十四日講も、氏子の家でひっそりと行われていたそうです
結局将門公が神田明神の御祭神に復帰するのは昭和五十九年と、非常に最近までその評価は揺れ動いていたことがわかります
さて、神社です
神社は県道20号線沿いにあります
駐車場は境内に止められるようになっています
社頭です
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