茨城県古河市宮前町に鎮座する「雀神社(すずめじんじゃ)」のご紹介です
御由緒として、古河市のHPなどの紹介文を見ますと、貞観年間(859-876)に島根県の出雲大社より勧請したと伝えられている、と記載されています。一方で、神社から頂いた御由緒書きによると、約二千年前、第十代崇神天皇の皇子、豊城入彦命が東国鎮定の際に神社を創建して祈願を込め、国家鎮護の神として「鎮宮(しずめのみや)」と称えたのが始まりとも伝えています
二千年前は何だか夢や浪漫が広がりますが、流石に貞観年間のが有力なんでしょうかね( ̄▽ ̄)でも、出雲大社からの勧請なら、どうして大国主命ではなくて、大己貴命なんでしょうね?
可愛らしい社名の謂れですが、後世になり、「しずめのみや」が転訛し「すずめのみや」となり、現在の社名になったというのが通説のようです
創建以来、この地方の信仰の中心地としてありました。時代が室町に入ると、 それまで鎌倉府に本拠を置いていた第五代鎌倉公方足利成氏が古河に本拠を移し古河公方を名乗り、当社を篤く崇敬をします
古河公方滅亡後も歴代古河城主に崇敬されていきます。関ヶ原の戦いの少し前には、徳川家康が会津征伐で下野国小山まで進んだ時に石田三成の挙兵を聞き、古河城へ引き返し、当社に国内平定の祈願をしたと言います
慶長十年(1605)に現在の社殿を造営する際に、現在地近くに移築されています
明治五年に猿島郡・西葛飾郡の郷社に列格します
昭和二十八年、渡良瀬川の河川敷改修工事で境内地が縮小され、社殿も50mほど東に移築されています
さて、神社です
鎮座地は渡良瀬遊水地のほとりになります
神社周辺は意外と道が細いので、自家用車で参拝する方は気をつけた方がいいかもしれません
社頭です
写真向かって左側が御神木の大欅です
且つては二本の欅が合体し、夫婦欅と呼ばれていましたが、残念ながら片側が煙草の投げ捨てで一部が焼かれ腐朽してしまい、現在は強化繊維プラスチックで補強してある状態です
社号標には社名ではなく「郷社」の文字。猿島郡の郷社が雀神社一社だけだからでしょうか?
一の鳥居です
迫力の狛犬は慶應三年の奉納です
とても立派な手水舎には宝珠が彫刻されています。何となく宝珠を見るとお稲荷さんのイメージがありますが、たまたまでしょうか?
二の鳥居です
境内では新年を迎える準備で忙しい感じです
拝殿前の狛犬は元禄十四年(1701)に奉納されています
胸には奉納年代や施主の名前が彫られています。狛犬に直接文字が彫られているのは初めて見ました
力強い眉毛です
拝殿です
神紋は「三つ銀杏」でしょうか
扁額です
拝殿から続きの神楽殿でしょうか?
本殿です
此方の神社も、僕が参拝した県南の神社の多くと同様、覆屋が掛けられています
此方は覗いたところ、両方お神輿が入っていたので神輿殿ですかね。ただ、車輪も入っていたので、御神輿ではなく山車なのかもしれません
此方は松尾社です。町内の酒造関係者から信仰されているそうです
此方は第六天宮です
此方の楯縫社は手工業者から信仰されています
三峯神社ですが、お狐さんが置かれています。お稲荷様が合祀されているんでしょうか?
神社脇からは渡良瀬遊水地の堤防が広がっています
遠く日光連山や赤城山、榛名山などの名峰が眺望出来ます。目の前がゴルフ場なのが残念です(´・_・`)
古河を唄った万葉歌碑です
御朱印は社務所で頂けます
古河公方所縁の遺跡など、今度は周囲も見て回りたいです( ´ ▽ ` )ノ何か何時も同じこと言っていますが(-_-)
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