茨城県結城市結城に鎮座する「健田須賀神社(たけだすがじんじゃ)」の御紹介です
此方は明治三年に健田神社と須賀神社が合祀され、現在の健田須賀神社となっています
健田神社は延喜式内神名帳に記された下総國結城郡の式内小社になります
御祭神は健田神社が武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、須賀神社が須佐之男命(すさのおのみこと)になります
健田神社御祭神の武渟川別命は崇神朝の武人で、四道将軍の一人であり、後に安倍晴明を輩出する安倍臣の祖とされています
健田神社の御由緒として、当初は筑波山を拝する事の出来る地に鎮座しており、その地で日の出から暦を察していたそうです。その後神社の形を整えていき、結城の国造である竹田臣(安倍氏から分かれた氏族)の祖である武渟川別命を祀ります。宝暦十四年(1764)に乗国寺と習合し、明治三年に神仏分離により須賀神社と合祀しています
一方の須賀神社は、結城家初代の結城朝光が仁治三年(1242)に、現在の愛知県津島市の津島神社から勧請し、結城家の氏神としたのが始まりです。その後、結城の産土神として民衆にも広く信仰されます。康永二年(1343)には結城七社が定められ、結城百八郷の総社として崇敬されていきます
健田須賀神社に合祀後、明治五年に郷社、昭和五年に県社に列格しています
さて神社です
結城の総社と言われるだけあり、結城市街地の真ん中、結城駅の北側に鎮座します
駐車場は比較的大きいものが整備されていますが、周辺は市街地で道もそれ程広くないので、ちょっと注意が必要かもしれないです
社頭です
社号標です
一の鳥居です
手水舎です
二の鳥居です
雄々しい狛犬は明治三十二年五月の奉納です
拝殿です
扁額です
此方が社殿の真ん中に掲げられていましたが、扁額なんでしょうか?文字の類は掠れて一切見えませんが、剣の彫刻が付けられています
神紋は「三つ巴」で、新しく付けられたであろうものは左向きですが、古いものなどの多くは右向きです。左右の違いはその場では気付かず、後から気付いたので聞くのを忘れてしまいました(-_-)
本殿です
これは流造じゃなく日吉造でしょうか?
此方は十二社です
向かって左より、香取神社、白峰神社、三峰神社、足尾神社、羽黒神社、松尾神社、鷲神社、八幡神社、大神宮、大桑神社、高椅神社、住吉神社になります
この十二社には言い伝えがあります。結城家七代直朝が関城攻略の為、北斗七星に願を掛け、各町に鎮座する七社(須賀神社、住吉大明神、大桑大明神、高椅大明神、八幡宮、大神宮、鷲宮大明神)に必勝を祈願すると、その甲斐あり関城を攻略します。前述の通り康永二年に結城七社を定め、社地の寄進や社殿の造営を行い、六社を須賀神社に合祀したと言われます。更に香取神社、松尾神社、羽黒神社、三峰神社、白峰神社、足尾神社を祀り、一ヶ月に一社、十二ヶ月かけて十二社詣ですると霊験がある、のだそうです
此方は甲子稲荷神社(きのえねいなりじんじゃ)で、大国主命と倉稲魂命を祀っています
中を拝見すると、お狐さんはおらず、大黒様がいらっしゃいました
此方は神楽殿です
此方は猿田彦神社です
御朱印は社務所で頂けます
0 件のコメント:
コメントを投稿