2013年1月18日金曜日

若宮八幡宮・太田稲荷神社(常陸太田)

茨城県常陸太田市宮元町に鎮座する若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)・太田稲荷神社(おおたいなりじんじゃ)のご紹介です

創建は応永年間(1394-1427)、旧社格は郷社です

御祭神は大鷦鷯命(おおささぎのみこと:仁徳天皇)と倉稲魂命です

御由緒として、若宮八幡宮は常陸太田を居城とした戦国大名である佐竹氏の第十二代当主佐竹義仁公が舞鶴城(太田城)に守護神として鶴岡八幡宮より御祭神を勧請、以後佐竹氏の祈願所となります。慶長十四年(1609)には水戸藩初代藩主徳川頼房公が七歳の時、病気平癒を此方で祈願し、全快したと伝わります。以来水戸徳川家の崇敬篤く、元禄五年(1692)二代藩主光圀公が太田郷の鎮守とされました。明治十四年に郷社に列格しています
並び祀られる太田稲荷神社は、鶴岡八幡宮の宮地である松ヶ岡に稲荷神社があり、それを丸山に遷した故事に倣い、若宮八幡宮と共に祀る事としたようです。元来は平将門追討や大百足退治で有名な藤原秀郷の五世孫、太田大夫通延がこの地に初めて居城を構えた頃に創始される古社になります。
宝永五年(1708)には両社を居城の地より現在の鎮座地へ造営奉遷しています

不思議なのは水戸黄門こと徳川光圀公が佐竹氏の本拠地である常陸太田に鎮座する当社を崇敬していることです。水戸八幡宮の所でも軽く触れましたが、光圀公は、関ヶ原の合戦後、出羽へ転封された佐竹氏の影を払拭する為、徹底的な八幡潰しを行なっています。勿論、その中心となったのは現在の水戸八幡宮や、初代佐竹昌義が氏神として祀った常陸太田市馬場にある馬場八幡宮などでしょうが、それまで太田郷の鎮守としていた馬場八幡宮から、当社を鎮守としているのは祭神の違う「若宮八幡宮」だからなのでしょうかね?


さて、神社です

当社は常陸太田市街地、常陸太田駅や市役所から北西の台地上にあります。標識などに記載がありますが、周辺は細い路地も多い為、事前に大体の場所を確認しておくと良いかと思います
神社のすぐ近くには郵便局や、変わった屋根の幼稚園などがありますので、参拝時の目印になりますかね

車で参拝の場合、駐車場は一の鳥居の前か、境内横手にあります

社頭です

一の鳥居です

社号標は残念ながら震災で被害を受けて折れてしまっています

神社境内には樹齢数百年の大欅が幾本もあります。最大の欅は樹齢六百五十年以上のもので、県の天然記念物に指定されています

此方には鋳物製の灯籠がありましたが、震災時に倒壊してしまったようです(:_;)

同じく壊れてしまった此方は陶器製の狛犬ですね。色合いや顔付きからして、常磐神社や大洗磯前神社のものと同じなのでしょう

手水舎です

神門です

神門をくぐった先の境内は綺麗に整備された空間が広がります

狛犬です

拝殿です

見事な彫刻と、鮮やかな色彩の扁額ですね

扁額は奥にもう一つあります

此方には「若宮八幡宮 稲荷神社」と書かれています

神紋は「左三つ巴」です

本殿です

若宮八幡宮と太田稲荷神社の本殿が同じ瑞垣の中に並立しています。以前に京都の上賀茂神社や下賀茂神社を参拝した時、本殿と権殿という形を見たことはありましたが、別の神様が祀られている本殿が同じ瑞垣の中にあるのは初めて見ました( ´ ▽ ` )ノ

因みに拝殿側から見て、左手が太田稲荷神社の本殿、右手が若宮八幡宮の本殿になります。稲荷神社の神紋は「抱き稲」のようです

神社の方に話を聞くと、昭和三十年代までは本殿が一社だったのを、かつて二社の本殿で祀っていたようにと、現在の本殿の形にしたんだそうです
拝殿前には境内社、太田天満宮があります

本殿へ向かう途中にあった看板には、境内社として市比売神社、別雷神社、愛宕神社、富士神社、足尾神社、淡島神社、染殿神社と書かれていましたが、

向かった先で見つけられたのはこの三社だけでした

此方は神輿殿です

 

御朱印は社務所で頂くことが出来ました

三が日が明けてもまだまだ参拝客も多く忙しいのに、快く御朱印の対応や、少しですが神社の事もお話頂いて気持ち良く参拝出来ました。今度はゆっくりお話しを聞いてみたいです( ´ ▽ ` )ノ