2014年4月27日日曜日

ふら~り、神社探訪 埼玉編其の壱

前回紹介の櫻木神社を後にして、千葉県から埼玉県へ突入!

何故、埼玉県か?特に理由はなかったんですが、三年ほど前にさいたま市の神社を巡ったあと、データの入ったメモリーカードを紛失して、写真が一切ないのがいやんな感じだったので、いつか行こういつか行こうと考え、野田市から埼玉県近いし、行ってみようという実にどうでもいい理由なのは秘密です(^^)

さて、トテトテ車を走らせ、第一の目的地である調神社へ!この間、ナビでルート検索しているにもかかわらず、三度道を間違える暴挙に出て、遠く浦和の地でテンパっていたりします^^;

それはさておき、神社です。

「調神社(つきじんじゃ)」は埼玉県さいたま市浦和区に鎮座しています。延喜式神名帳に記された式内小社で、旧社格は県社になります。

御祭神は天照大御神、豊宇気姫命、素盞鳴尊の三柱になります。

創建は古く、開化天皇三年と言われています。次の崇神天皇の時代になると、伊勢神宮を創建した倭姫命が参内し、神社境内に神宮へ献じる調を納める為の倉が建てられます。この倉があったことが「調神社」の名称の由来と言われています。
調神社という呼び方の他に、「調宮(つきのみや)」とも呼ばれているそうです。

また、倉が建てられた際、倭姫命は調物の運搬の妨げにならないよう鳥居を取り払うことを命じたため、現在まで鳥居がないのだそうです。

後世、「調(つき)」の読みが「月(つき)」に通じるため、月待信仰や兎信仰へ結びつき、狛犬ではなく、狛兎のいる神社としても有名です(^O^)

さいたま市浦和区のど真ん中、周囲は住宅やビルなどが犇めく中に鎮座します。

社頭です。

早速狛兎がお出迎え(^^)以前に来た時にはもっと古い兎でしたが、現在はピカピカの新しい狛兎になっています。

社号標です。

前述したように鳥居はありません。

手水舎にも大きな兎です(^^)/

手水舎の基礎部分にも可愛らしいウサギの彫刻が彫られています。

拝殿です。

彫刻にも兎の神社と言われるように、多くのウサギも彫られていますヽ(^o^)丿

狛犬はいないんだなあと思っていたら...
あ、こんな所に!!これはノーカウントかな?

神紋は「左三つ巴」ですね。

本殿は拝殿と一緒になっている権現造りです。

此方は神楽殿ですかね。

境内社の金比羅神社と調宮天神社です。

もう一つ手水舎がありましたが、凄まじいまでの苔むし方です( ̄□ ̄;)!!

境内にはもう一つの境内社である稲荷神社がありますが、現在は工事中で見ることは出来ませんでした。安政年間まで本殿して使用されたもので、見たかったのですが残念でした(;_;)

此方は稲荷神社仮殿です。

神池です。

真ん中にもウサギさんです\(^o^)/

と、ウサギとカメですね(^∇^)仲良く並んどります^ - ^

此方は不動明王像ですかね。表情がなんとも言えません(^^)

境内の一角には先代の狛兎も安置され、参拝者を迎えてくれます(・ω・)ノ

御朱印は社務所で頂けます。

また此方ではオリジナルの御朱印帳が頂けます。


さて、調神社を後にして次の目的地のために北上してさいたま市大宮区へ!

流石埼玉県の県庁所在地、人も建物も凄い凄い、水戸ももっと栄えないもんかねぇ^^;

と言っている間に次の目的地である氷川神社に到着です。

「氷川神社(ひかわじんじゃ)」は、全国にある氷川神社の総本社です。多くの氷川神社と区別するため、大宮氷川神社と呼ばれることもあります。
延喜式神名帳に記された名神大社で、武蔵國一宮(三宮との伝承もあります)、勅祭社で、旧社格は官幣大社です。

御祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三柱になります。

創建は古く、およそ二千年前の孝昭天皇御代の創立になるそうです。

さて、鎮座地の大宮区ですが、「さいたま市」として合併するまでは大宮市と呼ばれ、江戸時代にも中山道の大宮宿があるなど、古くから「大宮」との地名で呼ばれていました。これは、氷川神社が「大いなる宮居」と讃えられていたことに由来するのだそうです。

さて、神社です。

参拝は日曜であり、神社も人でごった返し、駐車場もいっぱいでしたが、休日は神社西側にある臨時駐車場が開放され、そちらに停めることが出来ました(^^)

本当は一の鳥居から写真に収めたかったんですが、今回は三ノ鳥居からのスタートです。

神楽殿と額殿です。

神楽殿と参道を挟んだ此方は、「みこ神楽殿」と言うそうですが、用途が違うのかな?規模も神楽殿と比べ随分違います。

神池に掛かる神橋を渡ると、立派な楼門が姿を表します。

人で一杯なのは、それだけ崇敬の篤い神社ということですね(^^)/

舞殿です。

氷川神社拝殿です。

遠くからですが、本殿も確認できます。

神紋は「菊花紋」ですね。

楼門から続く回廊の東門を出ると境内社があります。

此方は摂社の「門客人神社」で、御祭神は稲田姫命の両親である足摩乳命と手摩乳命です。しかし、以前は「荒脛巾神社(あらはばきじんじゃ)」と呼ばれており、祭神もアラハバキ神であったのだそうです。江戸時代の記録では名前こそ「荒波々幾社」となっていますが、既に祭神は足摩乳命、手摩乳命と記載されているようです。この点が様々な解釈が為されているようですね。ネットでも色々な情報がありますので、興味ある方は是非見てみると楽しいかと。
アラハバキという神様自体謎めいており、様々な論議がなされる、ひいてはロマン溢れる神様のようです(^O^)

お隣には末社の御嶽神社です。

六社は住吉神社、神明神社、山祇神社、愛宕神社、雷神社、石上神社です。

此方は境内南東にある摂社、天津神社で、御祭神は少彦名命です。

末社の松尾神社です。

末社の稲荷神社です。

凛々しいお狐さんです。

稲荷神社の向かい側、神池の中には摂社の宗像神社です。

と、神池の石の上には気持ちよさそうに亀さんが日向ぼっこ(^^)/

しかし、そんなにその場所がいいのかな?落ちそうで落ちない絶妙なポジション(;´∀`)


御朱印は社務所で頂けます。

また、此方にはオリジナルの御朱印帳が二種類あります。今回はその内の一種類、楼門の描かれたものを購入しました。

今回は此処まで、次回は氷川女體神社と中山神社をご紹介の予定です(^^)