2025年4月6日日曜日

茨城縣護國神社(水戸市)

 


茨城県水戸市見川1丁目2-1に鎮座する「茨城縣護國神社(いばらきけんごこくじんじゃ)」のご紹介です

御祭神は幕末から明治維新にかけて国のために殉じた水戸藩関係の烈士から、大東亜戦争に至るまでの茨城県出身の御英霊 63496柱となります

御由緒として、護國神社が鎮座する「桜山」は景勝地であり、古くは「白雲岡」と呼ばれていました

水戸藩九代藩主徳川斉昭公は、「偕楽園」を造営する際に景勝地として名高い桜山を候補としましたが、地形が狭いため、この丘には桜山の所以となる数百の桜を植え、休息所として「一遊亭」を建てて、偕楽園の好文亭と相対させました

明治十一年(1878)2月、水戸市常盤神社の境内地に、社名を「鎮霊社」として、幕末から明治維新にかけて国のために殉じた1800余柱の御霊を御祭神として創始されました

西南の役、日清・日露戦争など数多の戦に斃れた英霊の合祀が行われ、広く全県下の戦没英霊の御霊を奉斎する神社となります

昭和十四年(1939)4月、国の方針により全国各県に一社または二社の護国神社の創建が定められ、天下の景勝と名高い「偕楽園」の付属地である桜山に建設が決定されます

昭和十六年(1941)11月、常盤神社境内の「鎮霊社」から「茨城縣護国神社」と改称し、盛大な遷座祭が斎行されます

敗戦により昭和二十二年(1947)8月、「桜山神社」と改称しましたが、昭和二十九年(1954)10月、「茨城縣護国神社」と復称します


さて、神社です⛩

神社は御由緒に書いた通り、桜の名所である桜山に鎮座します。目の前には千波湖が広がり、道を挟んだ向こう側には偕楽園が広がります

駐車場は桜山ふもとに幾つもあります。基本的に無料の駐車場ですが、偕楽園の梅まつりや桜の季節など、イベント時には有料となるようです

偕楽園と桜山の中間あたりの陸橋「梅桜橋」からの桜山の風景です



此方は偕楽園方向。山の上の建物が「好文亭」になります

社頭です

一の鳥居です

狛犬です

社号標です



桜の時期の参道はこのように華やかになります🌸






長く続く参道脇には慰霊碑等が立ち並びます

手水舎です


二の鳥居です



鳥居をくぐるとすぐに境内社の「桜宮(さくらのみや)」が鎮座します

御祭神は「木花咲耶姫命(このはなさくやびめのみこと)」、桜山にぴったりな御祭神です

扁額には「桜ノ宮」とあります

左手に大きくしあわせと書かれた此方はそのまま「しあわせ石」です😄

大きな「しあわせ」の字に、ほっこりとします☺

拝殿です

他の護国神社もそうですが、兎に角御社殿が立派です!



神紋は「桜」紋、まさに桜山の神社です




本殿です


桜宮の後方にある此方は、前述した「一遊亭跡」となります。きっと偕楽園にある好文亭のように、人々が四季折々の風景を楽しんだんでしょう

社殿右手から崖を降りていくとあるのが「玉龍泉(ぎょくりゅうせん)」です


玉龍泉は徳川斉昭公が偕楽園や桜山の景勝に合わせて造った噴水となります

ちなみに偕楽園にも対となるように「吐玉泉(とぎょくせん)」という噴水があります

斉昭公は水理に詳しく、庭園に合わせて噴水を造っただけでなく、田畑の灌漑に応用し農耕を助ける事を教えたと言われます

御朱印は社殿左手の授与所で頂けます



一緒に桜宮の御朱印も頂けます

この他に、季節の御朱印など限定の御朱印も頂けます





桜山はその名の通り桜の名所となります。最後に以前の桜の季節に参拝した写真を何枚か😄



神社自体は、戦争という悲しい歴史と絡んだ神社ですが、現在は桜山という景勝地で、家族連れも多く訪れる憩いの場所でもあります。周辺は水戸市の観光名所も多くありますので、周辺の観光とともに訪れてみてください!