2013年4月21日日曜日

今戸神社(台東区今戸)

東京国立博物館へ『大神社展』を見終わった足で、台東区今戸の『今戸神社』(いまどじんじゃ)へ行ってきました


御祭神は應神天皇、伊弉諾尊、伊弉冉尊、そして七福神の一神である福禄寿です


御由緒として、康平六年(1063)に源頼義・義家父子が奥羽討伐の折、鎌倉の鶴ヶ岡と浅草今之津(現在の今戸)に京都の石清水八幡宮より御分霊を勧請し、今戸八幡が創建されます
その後、兵火に遭う度に再建が繰り返されました
寛永十三年(1636)には三代将軍家光公により再建がされますが、その後も関東大震災、東京大空襲で被災し、現在の社殿は昭和四十六年に造営されています
また、昭和十二年に隣接する白山神社を合祀し、社名を現在の『今戸神社』に改称しています
旧社格は村社になります

此方は「招き猫」発祥の地の一つとされています

また、縁結びでも著名な神社です

さて、神社です

神社は台東区にあり、スカイツリーのお膝元、いかにも下町然とした場所にあります

社号標と一の鳥居です

入り口から招き猫の絵がお出迎えです

境内に入ると、物凄い数の絵馬が目に入ります。神社の人気の表れですね

狛犬です。今戸焼職人により宝暦二年(1752)に寄進、文政五年(1822)に再興されています

この狛犬、阿吽ともに片足を上げた招き狛犬なんだそうで、ここにしかない形態だそうです

裏には可愛らしい狛犬(?)もいました

此方の拝殿前の狛犬は新しいタイプのものですね

手水舎です

と、あまり他では見かけない注意書きが・・・

此方は新撰組一番隊隊長の沖田総司の終焉の地だそうで、石碑がありました

拝殿です

拝殿からは大きな招き猫と福禄寿が参拝者をお出迎えしてくれます

扁額です

神紋は「左三つ巴」です

本殿です

さて、境内を散策と目を向けると・・・

猫!

猫!!

猫!!!

まさにネコだらけです

因みにこの「石のなで猫」は左が「ナギくん」、右が「ナミちゃん」で、心を込めて撫でた後に携帯の待ち受けにして毎日祈ると願いが叶うのだとか(・∀・)

そしてこの時に気づいてしまったのは、猫ちゃん達の裏側にいるのは、世界的に有名なネズミさんじゃないですか!ネコにネズミの取り合わせ、う~ん、斬新だわΣ(・∀・;)

さてさて、この神社には出会えたらラッキーな白猫の「なみちゃん」がいるそうですが…

居ました!!拝殿の横で気持ち良さそうに寝てました( ´ ▽ ` )ノ

起こすのも可哀想なので、遠くからパチリと

すぐに他の参拝に来た方も気づき、起きてしまって本殿の方へ潜り込んでしまいました

僕が参拝した時には二、三人の参拝者だけでしたが、帰る時には何時の間にかに多くの人、しかも女性が殆ど。華やかですなぁ

 

御朱印は社務所で頂けます

また、此方にはオリジナルの御朱印帳があります

カラーバリエーションが青、水色、ピンクの3種類ありましたが、普段ならまず選ばないピンクを購入‼華やかな神社ですし、たまにはこういうのも良いですよね?

今回は上野から近くだから行ってみようぐらいで参拝しているので、今戸焼について一切触れられなかったので、今度はゆっくり周囲を巡ってみようと思います

薩都神社(常陸太田市)※追記しました

茨城県常陸太田市里野宮町に鎮座する「薩都神社(さとじんじゃ)」のご紹介です

此方は延喜式神名帳に記された常陸國久慈郡七座の一の式内小社です。また、久慈郡二の宮でもあるようです

御祭神は立速日男命(タチハヤヒヲノミコト)、別名が速経和気命(ハヤフワケノミコト)になります

此方の神様は、常陸国風土記にしか記載されていない天津神なんだそうです

御由緒として、立速日男命が松沢の松の樹に降臨しますが、この地は里に近く、不浄も多い為、祟りをなします。祟りは厳しく、病も流行り、人々は延暦七年(788)に社を建てて祀ります。更に朝廷に奏上すると、片岡の大連と呼ばれる人物が派遣されます。大連は祭事を厳修し、「穢の多い里よりも高山の浄境に鎮まり給へ」と祷告されると、立速日男命はこれを聴き給い、延暦十九年(800)賀毗禮(カビレ)の峰に遷ります。しかし、賀毗禮の峰(日立市の御岩山とみられています)は険しく、人々は参拝に苦しむ事から、大同元年(806)、平良将公が小中島に社を建て奉遷します。正平年中(1346-1369)に佐竹左近将監義信公が本社を修造、永正以降佐都郷三十三ケ村の総鎮守となり、大永二年(1522)佐竹右京大夫義舜公が現在の鎮座地に遷します

明治六年六月、郷社に列格します

御祭神が降臨した後の『不浄』について、常陸国風土記には『人有りて向きて大小便を行る時は、災を示し、疾苦を致さしめしかば...』とあります。これは、神様に向かっておトイレをして神様が怒ったって事ですよね?何か当時の状況が分かりませんが、そりゃそうなるよと言う至極当然の結果では…(-。-;

また常陸国風土記には薩都神社のご由緒の他に、地名の由来も書かれています

元々この地には土雲と言う名の国栖(クズ)がいたそうです。因みに土雲(他の地域でいう土蜘蛛と同じでしょうかね)、国栖ともに、大和朝廷に従わない人々の呼称です。ここに兎上命(ウナカミノミコト)が攻めてこの人達を殲滅します『能く殺さしめて福(サチ)なるかもと言へし所、因りて佐都(サツ)と名づく』何とも凄まじいですねΣ(゚д゚lll)と言うより、常陸國の地名の由来には意外とこう言った血腥い話がちらほらあるんですよね...何より『茨城』がすでに国栖を殲滅する時に作った茨の砦が由来ですしね(^_^;)実際のこの辺りは、自然が綺麗な静かで良い場所ですよ(^o^)/

さて、神社です

此方は国道349号線沿い、国道から細い路地を入ったすぐ、里川のほとりにあります。神社そばには里野宮町の公民館もあり、まさにこの一角の中心地と言えるのでしょう

駐車場はありませんが、神社の裏側の公園も神社の敷地なので、車を停めて大丈夫だそうです

社頭です

神社入口には立派な松の木があります。御祭神が最初に降臨した場所も松の木でしたね

社号標と、神橋ですね

此処には一の鳥居があったようですが、東日本大震災で被災し、現在は基礎があるだけです

二の鳥居は両部鳥居です

手水舎です

境内は未だに震災の被害が目につき、多くの石灯籠が倒壊しています(;_;)

狛犬も残念ながら倒れてしまっていますが、見た限りでは破損はしていないようです

拝殿です

拝殿は元文二年(1737)の建築の入母屋造です

神紋は「左三つ巴」ですね

扁額です

本殿です

本殿は宝永二年(1705)建築の入母屋流造です

間口三間、奥行二間の本殿は、彫刻もしっかりしており、どっしりとした存在感があります

此方の神楽殿は社殿と同じ頃の造営とされています。此方も震災の被害を受け、補強がされています

 

境内社は多賀神社、息栖神社、富士神社、雷神社、春日神社、鷺森神社、愛宕神社、稲荷神社、八雷神社、鹿島神社、香取神社、素鵞神社があるようです

愛宕神社には立派な鳥居が立っています

此方の神社は、御由緒でも触れましたが、御祭神である立速日男命が賀毗禮の高峰に遷り、その後に現在の鎮座地である此の地に薩都神社が建てられています。此方は言わば里宮にあたり、中宮、奥宮は日立市の御岩神社山中にあります

 

此方が薩都神社中宮です奥宮は残念ながら参拝時には発見できなかったので、また挑戦したいと思います(^o^)丿御朱印は神社側の宮司さん宅で頂けました

※此処から追記になります

平成二十五年四月二十日、プチ神楽殿掲示板の副管理人でいらっしゃる御津垣さんのご案内の元、薩都神社奥宮へ行ってきました(⌒▽⌒)

当日は御岩神社境内、斎神社の祭礼である「回向祭」が執り行われていて、人も多かったですが、神社境内なのにお線香の香り漂う不思議な感じでした

さて、奥宮ですが、本来は薩都神社中宮から向かって右手の山路へと分け入るそうですが、どうやら近道があるとの事で、今回は別ルートから向かいます

薩都神社中宮から裏参道を賀毗禮神宮方面へ進み、ちょっと登った所で裏参道から外れます

「ここから降りたすぐですよ」

そう言う御津垣さんの言葉に目を白黒(°_°)だって、道なんてないですもん(写真を撮り忘れてましたorz)

生い茂る藪の中をちょっと下ると、

ありました奥宮です(^o^)

写真では分かりませんが、扉にはしっかりと『薩都神社』と彫られています

因みに奥宮から中宮方向への写真、何にも見えません(・_・;

更にこの後、御岩山山頂周辺の磐座群等も案内してもらえました( ´ ▽ ` )ノ

運動不足の身には結構大変な道のりでしたが、非常に楽しめました有難う御座いました、御津垣さんヾ(@⌒ー⌒@)ノ

もうちょっと早いと「イワウチワ」が咲き誇り綺麗だったそうです

御朱印を書いて頂いている間、宮司さんの奥さんに震災の時の話を聞くことが出来ました。早く復興が果たせるといいですね