2025年3月21日金曜日

化蘇沼稲荷神社(行方市)

 茨城県行方市内宿字化蘇沼1574に鎮座する『化蘇沼稲荷神社(けそぬまいなりじんじゃ)』のご紹介です

御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)です

御由緒として、茨城縣神社誌等を参考にすると、文明十年(1478)九月、領主である大掾氏が武田郷化蘇沼に武運長久の守護神として創祀します

天文三年(1534)、武田城主武田民部大輔通信公により荘厳な社殿が再建されます

武田郷九ヶ村の郷社と崇敬され、正一位を賜ります

天明八年(1788)11月10日、野火により全社屋焼失

文化年代(1804~1817)、領主松平大学頭頼慎公が郷民に喜捨令を出し、本社の再建復興がなされます

明治十二年五月、村社に列格します

さて、神社です⛩

鎮座地は大きな道路に面しています。駐車場は神社境内に停められる場所があります。今回はそちらに停めさせて頂きました。

一の鳥居です


茨城百景の石碑です

社頭です


二の鳥居になりますかね


手水舎です


駒狐です



拝殿です

扁額です



本殿です



神紋は「守山三つ葵(もりやまみつあおい)」と呼ばれ、陸奥守山藩松平氏、常陸宍戸藩松平氏、常陸府中藩松平氏の家紋で使用されています。当時の陸奥守山藩主松平大学頭頼慎公が社殿再建の折に紋章を寄進し、社紋として定めています

ちなみに茨城縣神社誌に神紋は「菱」となっていますが、どこにも見当たりませんでした💦武田氏所縁の神社でもあり、かつては菱の神紋もあったのでしょう

この御本社真裏に白狐の穴があり、子狐のお産の時には「おぼたて」といって油揚げや赤飯をお供えしたという昔話が伝わります

神様のお使いと、きっと往時には盛大に祝ったのでしょうね😄

こちらの境内末社は天満宮です

金毘羅大権現です

此方は社殿右手にある松尾芭蕉と洞海舎涼谷の句碑です

洞海舎涼谷は本名を河野新太郎と言い、行方郡帆津倉村で生まれ、本業は醬油醸造業を営んでいた俳人のようです。ほかの方のブログなどで当社の再建を涼谷が行ったとの記事がありましたが、結局自分には調べきれませんでした😓

「この道やゆく人なしに秋のくれ 翁(芭蕉)」

「名月も昨日になりぬ峰の松 洞海舎涼谷」

洞海舎涼谷社中が安政五年(1858)に建立した句碑で、尊敬する芭蕉と地元の指導者であった涼谷の句を並べて碑に刻んだものです。西日がすごくて、読めませんね😭


立派なモミの木は行方市指定天然記念物で、幹回り約4メートル、樹高訳16メートル、樹齢は370年以上とされています🌲

境内北側には立派な土俵があります❗❗❗

毎年8月25日の例祭で豊作を祈願する奉納相撲が行われ、神社の別名もこの事から「関取稲荷」の別名もあるほどです

境内北側には芭蕉と山居由之の句碑があります

右側の句碑「永き日も囀りたらぬひばり哉 芭蕉」

左側の句碑「冬牡丹水も薪も裏の山 山居由之」


境内を更に北側へ進んでいくと奥宮があります



此方が化蘇沼稲荷神社奥宮です

訪問時は水量も少ないですが、此処が化蘇沼になるのだと思います

化蘇沼の語源は境内の「正一位化蘇沼稲荷神社々誌」を引用すると、「古来この地方を芸津郷と言い聖地は郷内にあり。神社裏手に沼ありここに奥の院鎮座す。この沼より御神体出現し化神蘇生の由を以て化蘇沼と稱し神宿る聖なる水分けの地として郷人これを自然体信仰として崇め祀る」とあります。古来より貴重な水源として利用されてきたのでしょう

境内の一角に「藝都里(きつのさと)の寸津毗古(きつひこ)・寸津毗売(きつひめ)」の像があります。寸津毗古と寸津毗売は、常陸國風土記によると藝都の里を治めていた国栖の長です。国栖とは常陸國茨城郡に住んでいた先住民で、つちくも、やつかはぎとも呼ばれました。常陸國風土記ではその他にも野の佐伯、山の佐伯と呼ばれる人々も出てきますが、いずれにしても当時の大和政権に従わなかった人々なのでしょう

風土記では景行天皇の命を受けたヤマトタケルノミコトが、東北地方平定後に藝都里を治めるために訪れます。そして、命令に従わなかった寸津毗古は剣の一太刀で討たれてしまいます。残された寸津毗売とその一族は白旗を掲げて降参し、ヤマトタケルノミコトを迎え入れ、許されます。その後、ヤマトタケルノミコト小抜野(おぬきの)の仮宮に向かうと、寸津毗売は姉妹とともについていき、真心を込めて奉仕を続けます。ヤマトタケルノミコトはその姿を喜んだことから、その野を「うるはしの小野」と呼ぶようになったそうです

以前に紹介した同じ行方市の繁昌に鎮座する「鹿嶋神社」の宮司さんが兼務しておられるので、御朱印はそちらで授与して頂けました

2025年3月16日日曜日

調神社(さいたま市)

 先日Yahoo!ニュースを見ていたら、埼玉県さいたま市浦和区鎮座の調神社さんで、令和7年3月31日をもって御朱印の授与を取りやめるとのニュースを拝見しました。

諸般の事情とのことですが、それで調神社さんを参拝出来なくなるわけではありませんし、調神社さんの魅力が損なわれるものでもないと思います

参拝自体は随分昔になってしまいましたが、ご紹介できていないという事もあり、記載をさせて頂きますm(__)m

埼玉県さいたま市浦和区岸町三丁目17-25に鎮座する『調神社(つきじんじゃ)』のご紹介です。別名を『調宮(つきのみや)』、地元の方からは「つきのみやさま」と称され崇敬されている神社です

御由緒として、『調宮縁起』によると、第九代開花天皇の御代に創始されたとされます。第十代崇神天皇の勅命で、伊勢神宮斎主倭姫命が参向し、伊勢神宮に献上する調物(租庸調の調)を納める倉を立て、その倉庫群の中に鎮座していたと伝わります

延喜式神名帳では武藏國四十四座の一つ、「武藏國足立郡 調神社」と記載された式内小社となります

中世には社名の「調(つき)」が月と同じ読みから月待信仰に結びつき、江戸時代には月読社とも呼ばれていたようです

明治六年に郷社に列し、明治三十一年、県社に昇格しています

運否天賦の「ツキはツキを呼ぶ」との謂れから、幸運を授かると信仰されています(´▽`*)

また、調神社には以下の七不思議があります

鳥居がない、境内に松の木がない、御手洗池に住む片目の魚、祭神の神使は兎、日蓮上人駒つなぎのケヤキ、ハエがいない、蚊がいない

鳥居がないのは前述の伊勢神宮への貢物を運び出すのに邪魔になるからと言われます。その他の不思議にも謂れがあるようですが、ハエとか蚊が本当にいないと快適そうです(^^)/

御祭神は天照大御神、豊宇気姫命、素戔嗚尊の三柱となります

さて、神社です


当社はJR浦和駅西口から南西500mに鎮座しています

社頭です

ちなみに私は2度御参拝をさせて頂いていますが、写真は2度目参拝時の2014年3月のものとなります。というより2010年1月に初めて参拝した際の写真は、当時の他にも参拝した神社の写真含めて消えていました( ノД`)ので、写真自体が少ないですm(__)m

社号標です


狛犬ならぬ狛うさぎです!

手水舎にも兎です!

月待信仰が盛んとなり、月神の使いが兎のため、境内には兎を模した彫刻などが複数見られます

手水鉢の下には可愛らしい子ウサギ達(^-^)

拝殿は本殿と一体となった権現造で、造営は安政五年(1858)です



虹梁の飾りにもしっかり兎がいました

神紋は「菊」ですが、

各所に「左三つ巴」も配されています

拝殿前の天水受ですが、

下にはしっかりと支える縁の下の力持ちが!


本殿です


神楽殿です


こちらは境内社の稲荷神社です


この時には改修中で見られませんでしたが、稲荷神社の社殿は調神社の旧本殿となります。2017年に改修工事は終了しているようです

稲荷神社仮殿です

金毘羅神社です

調宮天神社です


こちらは以前の狛うさぎです


確か2010年参拝時は、こちらの狛うさぎが社頭で出迎えてくれたと思います

素戔嗚尊の石像です


神池にも兎と、

イタチ?耳が取れちゃっただけ?


御朱印です


こちらは御朱印帳です

兎が可愛らしい(^-^)

御朱印の授与が終わってしまうのは残念ですが、魅力の多い歴史ある古社になります!御朱印抜きにしても、是非参拝してその魅力に触れて頂きたいです!!