2014年8月18日月曜日

ふら~り、神社探訪 南房総編 その四

神社探訪続きです(^^)/

実際に探訪したのは五月の頭だというのに、結局最後は三ヶ月近く経っての更新になっちゃいました^^;ここまでお付き合いいただいた方、もう少しのお付き合いをお願いしますm(_ _)m


さてさて、洲崎神社を後にしたのが時刻にして五時をちょっと過ぎた所。日が長くなってきたとはいえ、既に西日が差す中、ここまで来たんだし、どうせなら千葉の突端まで行ってやろうということで車を走らせます。目的地は房総半島の最南端、野島埼灯台へと向かいます。

野島埼灯台につくと、既に西日が強い時刻で、周囲のお店も軒並み閉まっている状態でした。

と、そんな中、灯台の手前に鳥居を発見!

と言う事で、この日最後の神社は「厳島神社(いつくしまじんじゃ)」です。

由来の詳細は分かりませんが、ネットで調べた限りでは創建は1776年、日本で言うと安永四年、広島の厳島神社からの御分霊を奉斎し、「野島弁財天」の通称で親しまれているのだそうです。

御祭神は市杵島姫命と弁財天です。

細かい部分は分かりませんが、そこに神社があるので行ってみましょうヽ(^。^)ノ

社号標です。

ちなみに横の青い歩道を真っ直ぐ向かうと、野島埼灯台へと向かいます。

潮騒の聞こえる参道は、不思議と心が安らぎます。僕が海沿いに住んでいる人間だからでしょうか(・・?

短い参道の途中には物凄いものがありましたが、それは後での御紹介にします。

手水舎です。

二の鳥居を抜けると、新旧狛犬さんがお出迎え(^◇^)

古い狛犬さんは相当年季が入ってますね。

大洗磯前神社の海岸近くの狛犬もそうですが、潮風の影響は大きいんですねΣ(・ω・ノ)ノ!

ご苦労様と、声をかけたくなります(^-^)/

境内右手にはずらりと七福神が並びます。

これらは「武田石翁の七福神」と呼ばれています。

武田石翁は幕末に活躍した安房の石工で、本名は小滝周治といいます。

これらは石翁十九歳の時の作品だそうです。

ちなみに弁財天のみ社殿内に祀られているそうです。

七福神像の並びにあった此方は何でしょう?御祭神に由来のある神石の類なのでしょうか?

拝殿です。

神紋は「左三つ巴」と「五七の桐」なのでしょうか?

扁額です。

本殿は神明造です。

此方は稲荷社ですね。

浅間神社と、お隣には薬師如来の社殿が。神仏習合の名残なのかな?なんだか珍しい気がします。

立派な芭蕉の句碑ですね。

そしてそしてもう一つ、前述したとおり、此方にはとても「凄いモノ」があります!

ドン(;゚Д゚)

それはもう、御立派なモノが!!

大きなシャコガイもあるのがご愛敬\(^o^)/

男根七不思議も、よく考えましたなぁ( ̄▽ ̄)


神社参拝も終え、ここまで来たわけですので野島埼灯台にも行ってみます、というより神社のすぐ裏なので、10秒で行けます。

此方が野島埼灯台です。

この灯台、明治二年竣工、初点灯された、日本の洋式灯台としては二番目のものだそうです。

しかし大正十二年の関東大震災で残念ながら倒壊してしまい、大正十四年にお改築されたのが現在の灯台なんだそうです。

残念ながら、17時には閉まってしまったので、登ることはできませんでしたorz

周辺は南房総国定公園として、海岸沿いを遊歩道が整備されています。

ちょっと歩いた先には「房総半島最南端の地」の碑が!やったー、何とか日没前につきましたぁ(∩´∀`)∩

岩場の上には南房総白浜サンライズポイントとして、一脚のベンチがあります。

夕日を浴び非常にロマンチックですが、一人で座りました(/ω\)

夕日が目に沁みますなぁ。

厳島神社だけでなく、周辺には小さなお社がちょこちょこ鎮座しています。

ここで長かった房総の旅もお終い、えっちらおっちら200kmの道のりを帰りましたとさ(*^_^*)


さてさて、結局気づけばもう八月も後半に入ってしまいました。筆が遅く、一日の旅を此処まで引き延ばしてどうするの、って感じですが、またトテトテマイペースに更新していきますので、宜しければまたお付き合いくださいませm(_ _)m

 

0 件のコメント:

コメントを投稿