『いざ、重金属』でも先行して書いてきましたが、九州は大分へふらりと旅立ってきました( ´ ▽ ` )ノ
と、書いている内に三ヶ月経過してしまいました(⌒-⌒; )
詳しい旅については「いざ、重金属」の旅行記を参照して頂いて、此方では神社参拝を書いていきたいと思います^ ^
今回は大分県宇佐市に鎮座する『宇佐神宮(うさじんぐう)』のご紹介です。
宇佐神宮は全国にある八幡社の総本社であり、御祭神は一之御殿に八幡大神(誉田別尊)、ニノ御殿に比売大神(宗像三女神)、三之御殿に神功皇后(息長帯姫命)が祀られています。
延喜式神名帳には三神が「豊前國宇佐郡 八幡大菩薩宇佐宮」「豊前國宇佐郡 比賣神社」「豊前國宇佐郡 大帯姫廟神社」とそれぞれ記載され、三社とも名神大社に列しています。また豊前國一宮であり、勅祭社、旧官幣大社でもあります。
御由緒として、宇佐神宮由緒記を参考にすると、宇佐神宮の鎮座地で、欽明天皇二十九年(569)に色々な神異があったそうです。菱形池ほとり、泉の湧くところに、鍛冶をする老人や、八つの頭のある龍が現れ、これを見た者はたちまち病気になったり、死んでしまうこともあったそうです。この神の祟りをおさめようと、大神比義(おおがのひぎ)という老人が三年余り断食をして神行すると、欽明天皇三十二年(571)の二月初卯の日、この泉の傍らの笹の上に光り輝く三才の童子が現れて「われは誉田の天皇(ほんだのすめらみこと=応神天皇)広幡八幡麿(ひろはたのやはたまろ)なり」と申され、たちまち黄金の鷹となり、駅館川の東岸の松の上にとどまったといい、これが八幡神がこの世に現れた第一の記録とされています。
和銅元年(708)、この鷹のとどまった所に鷹居社をつくり、八幡神を祀り、霊亀2年(716)に小山田の地に移られ、小山田社を造営、神亀二年(725)に現在の社地である亀山に移されて、一之御殿に八幡大神が鎮座されたのが、宇佐神宮の創立となります。
さて、神社です。
昨夜から明け方にかけての大雨が嘘のように、宇佐市に着いた頃には快晴になっていました^ ^
社頭です。
朱塗りの鳥居と社号標です。
神橋です。
大鳥居前の狛犬さん、苔生して年代を感じさせます。
あまり見ないデザインの狛犬さんですが、九州では多いのかな?
大鳥居とその先の境内に亀山、眺めた瞬間ちょっとクラっときてしまいました!(◎_◎ )此処まで長距離できたし、疲れからかな(⌒-⌒; )
大鳥居の横には境内社の「黒男神社」が鎮座します。
鳥居を潜るとすぐ右手に宝物館があり、楽しみにしてたんですが、まさかの休館日(T ^ T)
とにかく広く、そして美しく、流石八幡社の総本山、境内は自然と背筋が伸びてしまう程綺麗に整備されています。
立派な手水舎。
日本一の水盤だそうです。立派過ぎ!!
皇族の方々も此処からは自らの足で進んでいきます。
この灯籠は面白い形ですね。
ピラミッド状で、何か由来でもあるんでしょうか?
木々に抱かれるように広がる神域、先程までと違い、命の息吹のようなものを肌で感じられます。
本殿へと向かう石段、僕の写真では一切伝わりませんが、幻想的な感じさえする参道を進んでいきます。
と、本殿に向かう途中には摂社である若宮神社があります。
御祭神は応神天皇の若宮である「大鷦鷯命(おおささぎのみこと=仁徳天皇)」とその皇子である「大葉枝皇子(おおばえのみこと)」「小葉枝皇子(こばえのみこと)」「隼別皇子(はやぶさわけのみこと)」「雌姫皇女(めどりのみこと)」を祀っています。
天長元年(824)七月にご神託があり、仁寿二年(852)に造営使を派遣して造営創始されたということです。
実際の参拝順としては、上宮である本殿御参拝後に御参拝するとの事です。
若宮神社を過ぎると鳥居の向こう側に眩しいばかりの光が(・ω・)ノ
本殿へと続く西大門(さいだいもん)と宇佐鳥居です。
どうしても目が西大門に吸い付けられてしまいますが、大鳥居をはじめとした全ての鳥居はこれを模して造られているそうで、宇佐古来の形式を持つ凄い鳥居なのだとか!(◎_◎;)
そして西大門です。
文禄年間(1593-96)頃の改築で、桃山風の華麗な構造と極彩色の装飾が見ていて飽きません^ ^
此方が南中楼門(みなみちゅうろうもん)、勅使門で、通常は開かずの門だそうです。
壮観な眺めです^ ^
そしてこの奥に国宝である御本殿、一之御殿、ニ之御殿、三之御殿が並び立っています。
一之御殿に八幡大神、ニ之御殿に比売大神、三之御殿に神功皇后が祀られています。
本殿はまた「上宮」とも呼ばれます。
当然見えないので宇佐神宮のHPでご確認して頂ければ幸いですが、「八幡造」と呼ばれる2棟の切妻造平入の建物が前後に繋がった形をとっているそうです。
御神木は樹齢八百年の楠です。苔むしたその佇まいに、時代を感じます。
本殿向かいには、宇佐神宮奥宮である大元神社の鎮座する御許山(おもとさん)が臨めます。
参拝順路としては、この後若宮神社を参拝し下宮へと向かいます。
下宮です。
嵯峨天皇の弘仁年間(810-824)、勅願により創建されました。上宮の御分神を鎮祭したのが始まりで、御祭神は上宮と同じ八幡大神、比売大神、神功皇后となります。
下宮はまた「御炊宮(みけみや)」とも呼ばれます。
広大な境内には幾つかの境内社があります。
春宮神社です。
亀山神社です。
立派な巨木のそばに建つのは「養蚕神社」と「八坂神社」です。
養蚕神社、八坂神社そばの灯籠には狛犬さんが∑(゚Д゚)
中々にアクロバティックな造形の狛犬さんと、此方を興味深く覗き込むような狛犬さん、どちらも個性的です(・ω・)ノ
境内の西側、屋根付きの神橋が掛かっています。
「呉橋(くれはし)」と呼ばれるこの神橋は、呉の国の人がかけたと言われこの名が伝わり、鎌倉時代以前よりあるそうです。
広大な境内を回っていると、眠気と暑さと疲労が徐々に足を重くしていき、次の事など考え、ここで泣く泣く撤退(T ^ T)本当はもう少し散策したかったなぁ
御朱印は上宮前の授与所で頂けます。
また、此方にはオリジナルの御朱印帳があります。
この日はもう一社御参拝しましたが、それはまた後日にアップしますので、また御付き合いいただければ幸いでございますm(_ _)m
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