2012年7月24日火曜日

羽梨山神社(笠間市)

茨城県笠間市上郷に鎮座する羽梨山神社のご紹介です。

此方は延喜式神名帳に書かれた式内社、常陸國茨城郡羽梨山神社となります。

御祭神は木花咲耶姫命です。現在は難台山と呼ばれる羽梨山は、全山花に覆われた姿が花白山とも称され、その山に相応しい御祭神として勧請されたものであるそうです。

創建は不詳ですが、征夷大将軍坂上田村麻呂が陸奥征討の大任遂行の報賽を行っており、往古よりの格式の高さが伺えます。

その他にも源頼義・義家を始めとする多くの武将が祈願を行いましたが、天文十一年(1542)に兵火で消失し、そこから八町ほど下った現在地に遷りました。

神社名ともなっている羽梨山。どうして現在は難台山という名前なのかは分かりませんでしたが、羽梨山となったのにはいくつかの謂われがあるようです。

前述した花白山から羽梨山へ転訛していった

東征中の日本武尊が山中で出会った磐筒男、磐筒女と言う老翁・姥が山果を報じ兵卒の飢渇を癒した。そこで日本武尊は凱旋の折に、朝日丘の榊に羽々矢・果実を供し、そこから朝日丘を羽梨山とした

筑波山に葉が茂るのに対し、ここには木が無かったため、羽梨山となった

また、以前の羽梨山神社のあった場所には石碑があるという事ですが、現在はゴルフ場の敷地内になっていて、見ることができないそうです、残念(´・_・`)

 

さて、神社です。此方は以前に紹介した愛宕神社の近くに鎮座しています。

参拝時には、隣にある公民館で地区の方が集会をやっているようで、周辺には何台もの車が止まっていました

神社入り口です。鳥居の手前で狛犬がお出迎えです

鳥居は下部が去年の大震災で損傷して補修されていますが、建立は元禄十六年(1703)です。

社号標です

神橋も備えられています

神紋は「左三つ巴」ですね

扁額です

拝殿です。

拝殿及び本殿は寛文八年(1668)に造営され、延享四年(1747)に現社殿が新築されているようです

本殿です。三百年近く経っている計算ですが、とても綺麗に保存されており、地域の方が大事に祀っている様子が伺えます。

本殿横手、欄干の蟇股には変わった意匠の紋?が見られます。これも神紋でしょうか?

一瞬三つ葉葵と思ったんですが、どちらかと言えば、トランプのクローバーに見えます

反対側の同じ場所には別の紋がありました。造営当時の流行りの飾り付けでしょうか?というか、何処かで見たことがある気がします、思い出せませんが(´Д` )

本殿裏手にはとても立派なご神木の杉の木があります。「羽梨山神社のスギ」として、旧岩間町の天然記念物に指定されています。幹周りが8メートル、高さが40メートルあり、境内はもとより、周辺からも目を引く立派なものです。参拝終了後に、近所の人と話す機会がありましたが、「この杉は自慢できるよ」と仰っており、まさにご神木の名に相応しい佇まいです。

 

参拝も終了し御朱印を頂こうと社務所へ行きましたが、人の気配はありませんでした。なので、事前に調べておいた電話番号へTEL!無人の社務所に虚しく響く電話のベル音Σ(゚д゚lll)なんてこった(´Д` )

途方にくれていると、集会の終わった隣の公民館の後片付けをしている方が!声をかけてみると、物凄い良いおじさま達で、氏子総代長に連絡してくれるとのこと!ホント、ありがとうございますヽ(;▽;)ノ

総代長さんが来るまで、神社にまつわる昔話やご神木のことなど、いろいろ気さくに話してくれました。

そんなこんなで総代長さん到着、御朱印が頂けることに(^O^)社務所に案内され、無事御朱印を頂けました!ただ、書記をする人は別のようで、「印だけになるけど、大丈夫かい?」とのこと。いえいえ、わざわざ来ていただいているのに、文句などあろうはずもありません( ̄^ ̄)

その後、最近の神社のことについてや、お祭りについて、他の式内社巡りについて、大震災からの復興の様子の写真を見せてもらえるなど、一時間以上もお邪魔してしまいましたo(^▽^)o総代長さんも、とても気さくなおじいさんでした

また、こちらの宮司さんは、九十を超えるお歳、しかも四軒の神社を兼務しているそうですΣ(・□・ )何と言っても凄いのが、総代長さん達が小学生の時の先生だというんですから

色々と興味深いことが聞けたことと、何より人との繋がりに感謝した一日でした( ´ ▽ ` )ノ

 

2012年7月16日月曜日

大井神社(太郎神社:笠間市)

茨城県笠間市大渕に鎮座する大井神社のご紹介です。

大井神社は以前に紹介した水戸市飯富にある大井神社とともに、延喜式神名帳に書かれた式内小社、常陸国那珂郡大井神社の論社となっています。


また、中世頃より「太郎明神」とも尊称され、現在も太郎神社と称されることがあるようです。そして周辺の石井、箱田、来栖と合わせた四社の一宮として、一の宮明神(四所一宮)とも尊称されます。

御祭神は神八井耳命(かむやいみみのみこと)です。こちらの神様は初代天皇である神武天皇の息子で、二代天皇の綏靖天皇の兄になります。その名前は、八つの井戸、八つの耳を持つ聡明で慈悲深い神様で、「八」の意味する所は、末広がり七転八起で大願を成就する事を意味する、とのことです。

御由緒によると、神八井耳命は皇位継承の争いに巻き込まれ、帝位を弟の綏靖天皇に譲ると自分は東国統治に赴き大井の地に着いたようです。

因みにこの「太郎神社」の呼称の由来は、御祭神である神八井耳命の名前が「太郎」だから、と言うことを伺えました。


創建は大同元年(806)に勅宣にて造営されました。

 

さて、神社です。こちらには以前もナビを頼りに近くまできたんですが、神社に至る道が細くなり、ビビってUターン(´Д` )更に大雨に見舞われ車から出られず、泣く泣く諦めた経験があります(ただの根性なしですね

後日談として、その細い道を行けば神社まで行けますが、その前にある空き地が宮司さんの土地で、参拝の方はそこに停めてオケーな感じだったそうです

今回も家を出る時は雨降りでしたが、神社が近づくに連れ晴れ間が!やった~\(^o^)/

入り口です。鳥居は見当たりませんね

神橋です。

社号標には「延喜式内 大井神社」と書かれています。

鳥居はありませんが、鬱蒼とした森に一歩足を踏み入れると、そこは途端に別世界。さっきまで降っていた雨のせいのあるのでしょう、命の息吹みたいなものが感じられます

途中途中に階段を登りながら、長い参道を行きます。

参道途中には、当社の御神木である「親子杉」がお目見えします。立派な木々が聳える中、一際立派な杉の木です。

その他にも、苔生し、樹齢を感じさせる古木、巨木が目を楽しませます。

参道を歩いていると、何匹もの黒いイトトンボが目に付きます。あまり見たことないイトトンボです。その他にも赤とんぼやらバッタやら蛙やら、木々だけでなく、生き物にとっても、鎮守の森が命を育む場となっているのですね

広い境内に出ると、右手に「宣命殿」と書かれた建物。此処で官幣使を迎えていたんでしょうかね

境内の周辺には紫陽花が花を添えます。丁度見頃で色鮮やかです

拝殿です。赤い屋根は珍しい気がします。赤い屋根をみると、福島の祖父母の家を思い出し、何だかノスタルジックになります。

神紋は「左三つ巴」ですね
扁額です。中段には読めない漢字がありますが、恐らく「四所一宮」何ですよね?

本殿です。歴史を感じさせる素朴な感じが、古くから信仰を集めている地域の鎮守様という姿を表しています

此方は常に宮司さんがいるわけではないので、御朱印をお願いしようと電話を掛けると、行きますので少々お待ちを、とのこと。それじゃあもう少し散策を楽しもうと写真を撮っていると、まさかの出来事!カメラに掛けた指に、トンボが着陸Σ(・□・;)しかも逃げない!う〜ん、いつ以来だろう、トンボを指に留めるなんて?それだけ子供心を忘れてるってことかしらん(; ̄O ̄)

と、宮司さんの奥さんor娘さんと思しき方が登場!境内で自分の手の写真を撮っているという構図は、軽く不審者ですよねヽ(;▽;)ノなので、まるでそんなことは何事もなかったように振る舞いました^^;

どうやら道の悪い山路を急いで来てくれたらしく、息の上がった状態で応対してくれました。そんな、自分ごときに持ったいない対応で(^_^;)

無事御朱印を頂いた後、太郎神社の名前の由来などいろいろ伺えました。宮司さんが不在で、あまり詳しいことが言えませんですいませんと、こちらが恐縮してしまうような対応ぶり。いえいえ、事前連絡もなくぶっつけで来る自分が失礼極まりないわけで(´Д` )本当にありがたい対応でしたo(^▽^)o