2014年9月1日月曜日

佐志能神社(石岡市村上)

前回に引き続き、今回は茨城県石岡市村上に鎮座する「佐志能神社(さしの、さしのう)」のご紹介です。
当社は延喜式神名帳に「常陸國新治郡 佐志能神社」として記された延喜式内小社の論社となっています。

御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)と闇龗神(くらおかみのかみ)の二柱になります。

古くから鎮座地が村上村であった為、「村上神社」と呼ばれていました。また、前回紹介の染谷佐志能神社と同じ龍神山の麓に鎮座している事から、「龍神社」と称されていたこともあったそうです。

御由緒として、創建年代は不詳ですが、『日本三代実録』に「仁和元年(885)九月七日戌子、授かるに常陸国従5位下、村上神社従五位上」とあり、これが当社の事であると言われています。

村上の佐志能神社の御由緒では、染谷の佐志能神社に伝わるような記載はありませんが、恐らくは村上村から染谷村が分村する際に当社が新しく創建されたものと考えられるので、その間の御由緒は染谷佐志能神社に記載した部分になりますので割愛いたしますm(_ _)m

また、染谷村が村上村から分村した時期が分かれば、当社の創建時期も推察できるかなと考えたのですが、残念ながらさっぱり分かりませんでした( ̄▽ ̄)調べ方が悪いのかな(^◇^;)

明治十六年四月に現社号となり、現在に至ります。

さて、神社です。

  
村上の佐志能神社は龍神山の東側山麓、民家の間を抜けるような形で境内があります。事前に確認しておいたほうが迷わずにすむかなと思います。
社頭です。
染谷の佐志能神社は山中にあり、まさしく山を御神体とした神社だなという印象を受けたのに対して、此方は民家がすぐそばにある所為か、鎮守様と言った、どこか懐かしい感じの印象を受けました。
一の鳥居です。
拝殿です。
神紋は「右三つ巴」でしょうか。
扁額のあったであろう場所には、額を支える金具だけが残されています。
お隣の建物は神楽殿でしょうか?
本殿は覆い屋で覆われていますが、前面が開放されており、見ることが出来ました。
鮮やかなまでの朱塗です。
虹梁の龍や本殿側面など、細かく彫刻が施されていますね。
と、本殿には「卍」紋が見えます。これも神紋なのかな?
社殿左手には鳥居があり、神社後方に広がる龍神山へと繋がっています。とは言っても、獣道すら無いただの山の斜面であり、何があるんだろうと10分ほど彷徨って、これは下手したら不審者に見られないかと思い撤退しました(´・ω・`)
後で登った人に聞くと、どうやら小さな社があり、それが当社の奥宮であるとのこと。残念、見たかった(>_<)
一の鳥居近くには「御神水」の石碑があります。何でも、未だに少量ではあるものの清水が湧き出しているとのこと。
この井戸から出ているのかな?
さて、此方は現在、同じ石岡市の金刀比羅神社の宮司さんが兼務しており、御朱印もそちらで頂くことが出来ます。
次回は柿岡の佐志能神社をご紹介したいと思います(^^)