2012年10月20日土曜日

立野神社(常陸大宮市)

茨城県常陸大宮市(旧那珂郡緒川村)上小瀬に鎮座する立野神社のご紹介です

此方は延喜式神名帳に記載された式内小社、常陸國久慈郡 立野神社の論社になります
創建は社伝によると大化二年(646)久自国造物部氏の族、立野連が祖神を鎮祭したのが始まりとされています。
当初は現在地から東に1km程の立野山中に鎮座していたのを、天正年中(1573-1592)に、佐竹一族の小瀬庄三郎義隆が現在地の白旗山にあった鹿島社と合祀し、小瀬総鎮守とし、立野鹿島神社と改称しました。

ただ、現在の御祭神には不思議な事に武甕槌命の名前はありません。また、当社保管の棟札の中には天文十一年(1542)と永禄十一年(1568)の『奉修造八幡大菩薩社壇一宇』があるそうです。

水戸にある佐竹氏所縁の神社である「水戸八幡宮」も、当社鎮座地と同じ白幡山の呼称がされる所を考えると、元々当地にあったのは鹿島社ではなく八幡社であり、小瀬義隆が主君の佐竹氏と同じ八幡大神を祀る神社と立野神社を合祀したと考える方がしっくりときます。その後、佐竹氏が秋田に国替えされ、徳川光圀公の「八幡潰し」の流れの中、立野八幡神社が立野鹿島神社となっていったと考えると…まあ素人考えの妄想ですよね(´Д` )

明治時代になると郷社に列格しています。

御祭神は級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)で、伊邪那美命が霧を吹き払ったその息から生まれた風の神様になります。

また社伝によると、ご祭神は大和国龍田宮風伯神と同体と伝えられている、とのことで、現在の奈良県生駒郡三郷町にある龍田大社のことになるんでしょうかね。龍田大社の御祭神、天御柱命と国御柱命は龍田の風神と総称されて、天御柱命が級長津彦命、国御柱命は級長戸辺命のこととされているそうです

 

さて神社です。

国道129号線から県道12号線に入り8kmほど北上した、緒川小学校の北側に鎮座しています

神社は旧村名の由来になっている緒川が崖下に流れる、台地上に鎮座しています

社務所前に駐車して、いざ神社へ

立派な一の鳥居です

社号標です

参道脇の境内社です。案内板などはなく、何社であるかはわかりませんでした

手水舎です

二の鳥居も立派な造りの両部鳥居です

鳥居の後ろ、階段下には新しめの狛犬です

石段を上がった所にあるこちらの灯籠は、「火伏せの灯籠」と呼ばれ、一番上の火袋の位置がいつも違って見えるとか

境内です。大きくはありませんが、綺麗に整備されています

拝殿前の狛犬です。此方は年季が入ってます

拝殿手前に埋め込まれているこれは、方位石になるんでしょうか?

神紋は「左三つ巴」です

扁額です

扁額の裏には奉納された絵馬?になるんでしょうか

拝殿です

本殿です

造営は寛政十一年八月(1799)になります

嵐除けの祈願の際には、「オセンドー」と大きな声で唱えながら本殿を回る習慣があるそうです

小振りですが、賑やかな細工がしてあり、江戸時代後期特有の様式だそうです

蟇股の紋様は何かの意匠化なんでしょうか?

本殿向かって左手の境内社、伊勢神明社(左)と八幡神社(右)です

本殿向かって右手の境内社、斎目神社です

此方は稲荷神社です

所々破損していますが、色鮮やかなお社ですね

此方は文字が消えていて何社か分かりませんでした

本殿右手の小高い丘にある此方は、「雷除け小祠」とよばれています

雷の激しい時にお灯明をあげ、雷除けの祈願をするそうです

此方は平成五年に奉安された佐竹七福神「身代わり大黒天」です

神輿殿です

此方の祇園祭に出る神輿なのでしょう、「暴れ神輿」と云われ、祭りも荒れる祭りだそうです

本殿の裏手、崖のそばに小さな藁造の祠があります。宮司さんに伺ったところ、此方は「わら宝殿」と呼ばれるもので、神社の一角に土地を借り受けた方が氏神様を祀っているそうです

そう言えば、以前に水戸の大井神社にも、形は違いますが、同じ様なものがありました。あれもわら宝殿なのでしょう

参考までに水戸市の大井神社にあったわら宝殿です

御朱印は神社から少し横手に行った社務所で頂けます

此方は一緒に頂いた「身代わり大黒天」の御朱印です