2012年11月17日土曜日

橿原神宮(ひたちなか市)

茨城県ひたちなか市(旧那珂湊市)富士ノ上に鎮座する橿原神宮(かしはらじんぐう)のご紹介です

ご祭神は神武天皇、桓武天皇、崇道天皇になります




此方は奈良県にある橿原神宮と同様、神武天皇を主祭神とした神社ですが、歴史は遥かに古く、社伝によると創建は和銅年中(709-15)の創建と云われています

 

御由緒として、創建当時の鎮座地は涸沼という汽水湖のほとりにある石崎村升原(現在の茨城町中石崎)というところでした。仁寿年中(851-54)になり、湊村の宮山町(現在のひたちなか市明神町)に奉遷します。延長五年(927)に、桓武天皇の子孫である常陸大掾平国香が、桓武・崇道両天皇を合祀しています。その頃は柏原大明神と称して、この地方の布施・鈴木家などを中心とした平氏一族の守護神となっていたようです。その後、社名を橿原神宮と改め、湊村の鎮守として尊崇されるようになりました。宮山町にあった社殿は、江戸時代の寛文十二年(1672)に炎上し、同年八月十七日、富士ノ上地内に遷し、現在に至っています。また、明治十五年に県社に列格しています

 

ちょっと脱線して、神社の鎮座する「富士ノ上」という地名にまつわる話です。『那珂湊の地名』によると、那珂湊には幕末頃に『湊の七不思議』と言う唄が流布しており、その中で「〽 富士もないのに富士ノ上」と歌われていたようで、昔から地域の人はこの地名を不思議がっていたようです。実際には橿原神宮が遷る前にこの地にあった、富士浅現の祠が由来のようです

 

さて、神社です(今回の写真は平成二十四年の一月と十一月の写真が混じっています)

 

当社は那珂湊市街地中心部を走る県道六号のすぐそば、那珂湊の魚市場近くに鎮座しています。それほど大きい道ではありませんが、土日になると県外ナンバーの車でかなり周辺が賑やかになっています

 

神社入口は県道六号から少し入ったところにあり、何気に僕は数回迷って行くのを諦めた経験があります(´Д` )なにやってるの、地元民のくせに(^_^;)いえ、一度分かれば迷いませんけどね

神社入口です。車の駐車はもう少し上に行った境内の中になります

一の鳥居です

社号標です

文政五年の灯籠は震災で倒壊してしまったのでしょう、火袋より上がありません。その他にも嘉永三年、大正九年の灯籠もあったと記録されていますが、跡も見つけられませんでした(´・_・`)

参道のもみじが色付いてきています。何か先月まで暑かった気がしますけど、確実に秋が深まってるんですね

二の鳥居と神額です

こちらはお正月モードの参道です

石段を登ると狛犬がお出迎えです

小ぶりですが、しっかりとした彫りのせいか、とても存在感のある狛犬です

手水舎です

此方にはどうやら三の鳥居があったようですが、此方も東日本大震災で倒壊してしまったようです

境内です。交通量の多い道路近くとは信じられないぐらい静かで落ち着けます

拝殿です

扁額です

神紋は「菊花紋」ですね

本殿です

綺麗な神明造りです

彫刻などは一切ありませんが、厳かな佇まいは周囲の静けさも相俟って、充分すぎるほど。神社建築の中でも大社造りと住吉造りに並んで古い様式でもあり、日本人の感性の中には神明造りに対して何らかの思いを抱かせるのかもしれませんね。まぁ、常日頃から鈍感と言われる人間の言葉ではありませんねf^_^;)

境内にはいくつもの境内社がありますが、名前が無く、何社であるかはわかりませんでした。おそらくその中に、地名の由来にもなった富士浅現の祠もあったのでしょう

『那珂湊の地名』によると、境内社は富士、四社、稲荷、阿夫利、金刀比羅、船玉、素鵞、御武社があるそうです

ちなみに境内社の中の稲荷社は小重稲荷と言い、近世湊村に三代続いた侠客樫村小重の氏神で、小重は「湊ニ小重、銚子ニ五郎、鯉淵に与重」と謳われる人物だったそうです

此方は神社入口からすぐ横にあったお社です。橿原神宮境内からも参道とは別に道が作られているので境内社なんでしょうか?もしかすると、此方が富士浅現の祠、になるんでしょうかね?参拝時には情報がなかったので、しくじった感満載ですorz

御朱印は社務所で頂けます。参拝した時には女性の神職の方が対応してくれましたが、正装した女性の神職の方を初めて見る機会があり嬉しかったです

ちなみに、本当に偶然に、当社の前の御朱印が奈良の橿原神宮のものでしたΣ(・□・;)前日に御朱印帳が一冊終わり、以前に奈良の大神神社で頂いた御朱印帳を使い始めたのですが、その奈良で頂いた御朱印の最後が橿原神宮だったのです

どうやら神職の方もびっくりしたらしく「狙ってました?」と言われても始めは何のことか分からず、自分でも御朱印帳を見てびっくり、「ご縁があるのですね」と笑顔でいわれ、自分でも不思議な縁を感じた瞬間でした

当社は御祭神の神武東征や蝦夷征討などの故事に因んで、多くの崇敬者から厄除けの神と崇められているそうで、「厄除あめ」を頂けました