2014年2月9日日曜日

足尾神社(石岡市)

茨城県石岡市小屋に鎮座する「足尾神社(あしおじんじゃ)」の御紹介です。
御祭神は国常立尊、面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)の三柱になります。
御由緒として、火災による資料の焼失で創建は不詳ですが、宮司さんに窺うと、平安以前より足尾山(当時は葦穂山と呼ばれていたとされています)山頂に祠があったそうです。しかしそれが現在の足尾神社かどうかは分からず、一説では延喜式内小社である「夷針神社」ではないかとも言われているそうで、当社は夷針神社の論社になっています。
現在伝わっている社伝では、第60代天皇、醍醐天皇が足の痛みに苦しんでいる時、夢に足尾の神が現れたので、遠く足尾の山を遥拝すると、すぐに快癒なさったとのこと。足痛の全快を喜んだ醍醐天皇は、紙に御足形を印し、「日本最初足尾神社」の勅額を下賜します。その勅額は野火により焼失してしまい、寛正五年(1464)、御所へ再下賜を願い出たところ、再び勅額と菊桐入り喇石の下賜があったと伝えられているそうです。しかしこれもまた、明治の神仏分離の混乱で失われてしまいます。
平安時代末には、源義経の家臣としても知られる常陸坊海尊がこの山に籠もり、荒行して以来、足尾山は修験道の霊場として広く知られるようになります。足尾山で修行した修験者が諸国を行脚しながら、足尾神社が足病消陰の神徳を全国に広め、それにより足の諸病に悩む崇敬者の参詣がにわかに多くなったそうです。
足病の治癒などを祈願する参詣者・崇敬者は、金属製の草鞋や草履を奉納する習慣がありましたが、太平洋戦争終戦後に、金属の需要が高まると盗難が相次ぎ、現在は靴やサンダルの奉納に形を変えて続いています。

旧社格は郷社です。

さて、神社です。

神社は現在、麓の里宮と、足尾山中にある本宮の二箇所あります。
先ずは里宮からの御紹介です。

里宮は住宅に囲まれていますので、ちょっと分かり辛いかもしれません。
今回から地図を入れてみますので、参考にして下さい(^O^)/ただ、初めてやるので、何か不具合などある場合にはコメント頂けると有難いですm(_ _)m

駐車場は神社敷地内にありますが、狭いので気をつけて下さい。
社頭です。
社号標です。
拝殿です。
扁額です。
神紋は「天狗羽団扇」ですが、「右三つ巴」も見られます。
愛嬌あるカエルの置物です(⌒▽⌒)
里宮から見た足尾山です。筑波山加波山とともに常陸三山として万葉集にもその名が見える山になります。
此処から足尾山へと向かいます。
登山などで麓から歩いて行くこともできるようですが、今回は車で、きのこ山方面より向かいます。
きのこ山から足尾山への途中の風景です。
本宮の入口です。
一の鳥居は破損したままです(;_;)
険しいと言う程ではありませんが、やはり山道、足元がスニーカーだとちょっと大変かも。
二の鳥居です。
そして本宮ですが、社殿が……無いΣ(・□・;)
基礎部分を残し、社殿は取り壊されて無い状態ですね。他の方のホームページやブログを見ると、ここ数年は破損した状態であったのですが、流石に危険だと判断されたんでしょうね。
宮司さんの話によれば、二、三年後には新しい社殿が建つのだそうです(平成二十六年一月談です)。早く見たいですね(^-^)
今は小さなお社が仮宮として鎮座しています。
確りとした彫りの天狗の彫刻です。
此処から更に足尾山山頂に向かいます。
石段が続きますが、結構険しい道のりです。
頂上です。
頂上には足尾神社奥宮が鎮座します。
周囲はパラグライダーが盛んで、参拝中にも上空を軽やかに飛んでいました、楽しそう(^o^)

御朱印は里宮で頂けますが、普段、神職の方は常駐していないので、事前連絡が無難です

早く新しい社殿が建つといいですね(^○^)