2013年3月4日月曜日

村松大神宮(東海村)

茨城県那珂郡東海村村松に鎮座する村松大神宮(むらまつだいじんぐう)のご紹介です

此方は伊勢神宮の御分霊を奉祀する神社で、正式な名称は『大神宮』であり、「茨城のお伊勢様」とも称されています。社伝によると創建は和銅年中(708-715)になります

御祭神は伊勢神宮の「内宮」と同じ、天照大御神、天手力男命、萬幡豊秋津姫命の三柱の神様になります

御由緒として、和銅元年(708)四月七日、平磯前浦の巨岩が怪光を発射し、その光は眞崎の浦に留まります。住民は畏れて占うと、『伊勢の神なり』との垂示があり、伊勢より神職が来て奉斎します。その後、時の天皇からの奉崇、奉幣があり、大同年中(806-810)には平城天皇より『村松五所大明神』の勅号を賜っています康平三年(1060)には源頼義、義家父子の奥州征討の際に戦勝を祈願して、社殿の造営、神領の寄進があったそうです残念ながら中世には戦乱の為に荒廃してしまい、永享七年(1435)には神璽を奉じて奥州名取郡藤塚(現在の仙台市)に奉遷したこともあったようです徳川幕府の世になると、朱印地、神地の寄進があり、元禄七年(1694)徳川光圀公による神殿の造営が為され、元禄九年に改めて伊勢神宮の御分霊を奉遷して以来、大祭には水戸藩主の参拝が通例となります。安政四年(1857)には、徳川斉昭公も神殿の造営を行なっています明治五年に郷社に列格しています

御由緒は酒列磯前神社に似た部分があります。このような伝説を調べてみるのも面白そうですし、いつかやってみたいです(^^)

さて、神社です

神社は村松山虚空蔵尊に隣接するように鎮座しています

虚空蔵尊は茨城、取り分け県央地域に住んでいると物凄い有名なお寺さんで、参拝時にも虚空蔵尊への参拝客が目立ちますが、元来は当社の神宮寺だったようです

平成二十三年の東日本大震災で、一時期、一の鳥居である大鳥居が破損していました

此方が平成十九年参拝時の大鳥居

平成二十三年には貫が無い状態です

平成二十五年、修理も終わった大鳥居です

平成十九年の参道と二の鳥居です

平成二十三年には、二の鳥居も破損していました

修復の終わった二の鳥居です

立派な手水舎です

綺麗に整備された境内には、見事な松の樹が目を引きます

拝殿です

入母屋造千鳥破風、と言うそうです

神紋は「菊花紋」です

此方の写真で見ると、神紋の隣にハートの形が彫ってあるように見えます。偶然かな?

扁額です

ご神体が海からやってきたという逸話があり、海岸から近いという立地もあるからでしょうか、彫刻には『波』が目立つ気がします

本殿です

当然と言えば当然ですが、本殿は伊勢神宮御正殿を模した「神明造」です

本殿の周囲を多くの境内社が鎮座しています。その多くに鳥居が建っています

此方の稲荷社は賑やかです。氏子さんの信仰が厚いのですね

此方は「晴嵐神社」です

御祭神は大洗磯前神社(大己貴命)、酒列磯前神社(少彦名命)、鹿島神宮(武甕槌命)、香取神宮(経津主命)の大神になります

晴嵐神社は、元来は当社そばにある茨城東病院の敷地内にありました。茨城東病院は、元々「国立療養所晴嵐荘病院」の名で、結核の療養所であり、神社も呼吸器不治難病守護として鎮座していました。しかし、太平洋戦争後の政教分離政策により、国立病院の敷地内に神社の存在は認められず、当社の境内社として現在地に遷座したということです

茨城東病院には看護学校の実習時にお世話になり、元々小児喘息の持ち主である自分は、縁がありますようにと、参拝時にはしっかりお参りしています

神輿殿です
此方は明治四年に奉納された神輿で、「担ぎ神輿」として、年二回勇壮に担がれているそうです
此方は徳川斉昭公によって下賜された神輿で、安政四年の本殿造営と同じ頃のものと考えられています。こちらは実際に担がれる事が無い、「飾り神輿」ということです

社殿向かって右手の道からは、村松海岸へ向かえます

原子力施設が顔を覗かせていますが、此処はなだらかな白い砂丘と約34万本の黒松林が広がり、日本の白砂青松百選にも選ばれているそうです

村松海岸です。以前の酒列磯前神社の時にも触れた、「やんさまち」の大競馬の舞台でもあります

今は、やんさまちのゴールである酒列磯前神社、阿字ヶ浦方面には巨大な常陸那珂港が控えているので、復活するにもルートの変更は否めないんでしょうね

御朱印は社務所で頂けます

また、「晴嵐神社」の御朱印も頂けます

神社紹介が落ち着いたら、いつか虚空蔵尊のご紹介もしようかと思います(^O^)/