その壱から続きます😄
ここから賀毗禮神宮、そして御岩山へと続いていきますが、その前に賀毗禮神宮のご紹介です
御祭神は御祭神は天照大神、邇邇芸命、立速日男命(たちはやひをのみこと)となります
御由緒として茨城縣神社誌を参考にすると、この里の松沢の松に天神立速日男命が降臨します。とても威霊厳格な神様で、住民に不敬がある度に祟りがある為、人々の心労辛苦も多大となり、朝廷に奏上した所、片岡大連が派遣され、立速日男命に祈告してかびれの高峰に遷座して頂きました。しかし峰は険しく、拝祭が不便であることから、里宮(現在の薩都神社)を建立します。
薩都神社の御由緒でも記載していますので、よろしければそちらもご参照頂ければと思います →(薩都神社の参拝記はこちらです)
賀毗禮の高峰は奇岩怪石に富む神体山で、葦原山、また、阿女能加具夜麻とも呼ばれていたそうです。
さて、神社です
登拝道は場所によって勾配も強く足場も悪いため、軽い登山が出来るぐらいの恰好だと安心kかと思います
賀毗禮神宮です
茨城縣神社誌によると、こちらは下宮となります
扁額です
此方は「御多満理池」です
明暦三年(1657)二月十一日、賀毗禮神宮で水戸藩二代藩主徳川光圀公が大日本史編纂の祈願「筆初めの儀」を行い、此方の池で筆を洗ったのだとか
「筆初めの儀」の際に、次の誓歌を詠んでいます
“国の中にはびこる草根刈りたちて 君が千代田に返し奉らん”
これに対し水戸藩九代藩主徳川斉昭公が
“光圀の残せし関を我問えば 朝廷を守るしるしなりけり”と詠んでいます
此方の歌碑では見え辛いですが、右に光圀公、左に斉昭公の歌が刻まれています
御多真理池の上の石祠は皇国神社です
水神社です
此方は武田耕雲斎をはじめとした尊攘派水戸烈士の忠魂碑です
ここからそのまま御岩神社へ戻る裏参道と、御岩山山頂へと続く登拝道に分岐します
ちなみに御岩神社境内にあった江戸時代絵図だと、ちょうどこの分岐点あたりに「姥神」があったようです
此方は御岩神社境内にある「姥神」です
御岩山は山全体で天神地祇を祀っているため、石祠などもなく、御幣のみしかないような場所も複数あり、まさに神様が身近に感じられる場所なのだなと実感したりもします🌝
登拝道はかなり勾配の激しい場所も多いです
ちなみに息子の初登山でもありました🌝
山頂が近くなると、巨石が多く現れます
御岩山山頂です
標識には「御岩山頂上 賀毗禮之高峯」とあります
天候によっては日光連山なども見えるそうです
此方は「立石」と賀毗禮神宮の奥宮になります。ちなみに山中には中宮もありますが、現在は立ち入り禁止区域内にあり、訪れる事が出来ませんのでご注意下さい
「立石」は御祭神が降臨した場所とされています
以前はこの様なしめ縄などはありませんでしたが、パワースポットだとメディアで言われてから、所謂好き勝手をやる人も増えてしまい、この様な形になったそうです
此方はしめ縄の貼られる前の様子です。以前は、実に普通に「在る」ものだった気がします
頂上周辺は目を見張る様な巨石奇岩がごろごろと裏参道より御岩神社へと戻っていきます
裏参道途中には延喜式内小社である薩都神社中宮となります
里宮や奥宮に関しては、前述もしましたが、以前の薩都神社の参拝記をご参照下さい😃
無事に下山できました😄
御岩神社、賀毗禮神宮の御朱印は社務所で頂けます
土日などには見開きでの御朱印を頂けます
此方は雨の日に参拝した時に頂ける「雨の御朱印」です
此方は「夏山禅定」の御朱印です。毎年意匠は変わるのかな?
春季回向祭の際に御頒布している「阿弥陀如来」の御朱印です。秋季回向祭では「大日如来」の御朱印が御頒布されます
自分は購入していませんが、オリジナルの御朱印帳も複数あります
最近はパワースポットとしての面ばかりが強調されている気がしますが、古くからの信仰の場であり、それらを踏まえた上でルールを守り、参拝者同士が気持ちよく参拝出来れば良いですね😊