茨城県常陸太田市馬場に鎮座する「馬場八幡宮(ばばはちまんぐう)」のご紹介です
御祭神は誉田別尊(応神天皇)、配神として息長足比咩命(神功皇后)、比咩大神(宗像三女神)を祀ります
御由緒として、境内御由緒書きと茨城縣神社誌を参考にしますと、天喜四年(1056)八月、鎮守府将軍源頼義は勅を奉じて、陸奥の安部頼時鎮撫のためこの地に至り、熊野社の境内に軍陣を張ります。そして、社前に源氏の氏神である石清水八幡宮の神霊を平大石二枚を敷いて安置し、大任遂行を祈願します
康平三年(1060)十二月、熊野社を東側に奉遷し、そのあと地へ社殿を造営し石清水八幡宮の分霊を奉祀します
永保三年(1060)五月、鎮守府将軍源義家が清原一族内紛鎮定の途、本社に参詣し社頭に松を植えて成功を祈願します。寛治六年(1092)二月、源義家・義光兄弟が戦勝を奉賽し、馬場先で流鏑馬を斎行し神恩報謝します
天仁二年(1108)、常陸介新羅三郎源義光、太田舞鶴城主藤原通延に命じて本社の修築を行い軍配団扇を奉納します。
義光の孫、佐竹初代昌義公、祖宗の先蹤を慕い深く崇敬して本社を大田郷の総社、鯨岡八幡宮の社号を奉ります。佐竹昌義公・隆義公応保元年(1161)三月、新たに本社、殿堂、楼門、神宮寺、庁屋、五宇の殿堂を築造します
天正二年(1574)三月、雷火の為、悉く消失してしまいます。佐竹十九代義重公、社地を一町半南にし、天正八年(1580)十一月、本社を造営します。これが現在の本殿となります
天正十九年(1591)、佐竹二十代義宣公が水戸城に移ると、翌年に本社の御分霊を水戸八幡宮に奉遷し、社宝の瓶子一対の内一個を分納します
慶長七年(1602)九月、佐竹義宣公は秋田へ国替移封の際、本社の御分霊を八幡秋田神社に遷祀します
佐竹昌義公以来義宣公に至るまで、代々元服の儀、安産祈願、元旦祭には幣帛を奉納することが家例であったようです
徳川光圀公の社寺改革により、本社は馬場、増井、上大門、下大門、新宿一部の総社となります。また、元禄五年、光圀公は神鏡を奉納します
明治六年(1873)六月、村社に列します
往時には日立市久慈浜鎌城の御旅所まで、5年に一度の濱下り神事が行われていたそうです
さて、神社です⛩️
鎮座地は佐竹氏の居城であった太田城跡などの近くとなります
社頭です
社号標です
忠魂碑などが並びます
立派な両部鳥居です
番傘が飾られています
狛犬は新しいものですね
番傘が色鮮やかです
手水舎です
何だかお洒落です♪
随神門です
境内には此方も鮮やかな提灯が並びます
何かお祭りの準備かな( ´ ▽ ` )
拝殿です
扁額です
神紋は左三つ巴です
佐竹氏の家紋でもある「五本骨扇に月丸」が立派です😊
向拝のこの彫刻の亀はとても強そうです🐢
蟇股に金属製の丸い物が嵌め込まれていますね。何かの装飾だったのかな?。
本殿です
水戸八幡宮本殿との共通した部分が多くみられるそうです
どうでしょう、装飾の有無や細かい部分の違いはありますが、よく似ていますね
(水戸八幡宮の参拝記はこちらへどうぞ)
はっきりとは見えませんが、箱棟部分(で良いのかな?)には桐と菊の御紋があしらわれているように見えます。そう見えるだけかな?
此方は本殿東側、摂社の熊野神社です
恐らく御由緒にある熊野社なのでしょう
境内社の天満宮です
大杉神社です
雷神社、白山神社、三峯神社、八坂神社です
秋葉神社、稲荷神社と松尾神社です
此方は御神木の「柊」で、樹齢は200年になります😄
これが御由緒にある平大石二枚なのでしょう
御朱印は社務所で頂けます
書き置きのものでの対応となります。また、月毎の限定の御朱印もあります
社務所が開いていない際は、拝殿の賽銭箱の上のケースより頂く形です
一緒に奇麗な栞が入っていました🌝
戦国大名の佐竹氏崇敬の神社であり、規模こそ大きくありませんが、重厚で厳かな雰囲気の神社です!近くには同じく佐竹氏所縁の若宮八幡宮もあります。更に周囲には久慈郡の式内社もあるなど歴史や神社が好きな方は楽しめる場所かと思いますので、是非参拝の参考にしていただけると幸いです(´▽`*)
※若宮八幡宮の参拝記はこちらへどうぞ♪
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