2026年10月4日日曜日

八幡神社(常総市)


 茨城県常総市水海道橋本町に鎮座する「八幡神社(はちまんじんじゃ)」の御紹介です


御祭神として誉田別命(ホンダワケノミコト)を主祭神とし、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)、宇賀魂命(ウカノミタマノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)を相殿に祀ります。この四柱を総称して「水海道八幡大神」とお呼びするそうです


御由緒として(茨城縣神社誌と当社HP、茨城県神社庁HP、常総市HPを参考にしています)、戦国時代、水海道城の城主であった田村弾正左衛門守が、領内の安寧と一族の武運長久を願い、守護神として祀ったのが始まりと伝わります。社殿は居城のあった八幡畑、現在の水海道橋本町字御城(みじょう)あたりにあり、八幡神が鬼門封じとしても信仰されていたことから、城の鬼門もしくは裏鬼門の方角に鎮座していたと考えられているそうです

また、関東の八幡さまの多くが鎌倉の鶴岡八幡宮からの勧請であるのに対し、当社は豊前国の宇佐宮(現在の宇佐神宮)から直接御神霊を分祀したと伝わる、珍しい例とされています

天正五年(1577)に田村弾正が戦死すると、城とともに社も荒廃してしまいます

その後、新田開発の名主であった秋場権右衛門が主唱し、村民の五木田弥次兵衛ほか二十六人の協力を得て、延宝五年(1677)十二月十五日に現在地へ社殿を造営してお祀りします。この日付は本殿の棟札によるものだそうです。現在地は、鬼怒川の河岸と宿場の鬼門を封じる位置にあたり、旧水海道村のほぼ中心にあたる微高地なのだそうです

明治六年(1873)四月、村社に列格

明治二十四年(1891)、氏子中の寄附により本殿・拝殿・鳥居を大修理

明治四十年(1907)五月十三日、神饌幣帛料供進社に指定

大正四年(1915)五月、町内の日光社二祠・八坂社・稲荷社を合併(相殿の三柱は、この時に合祀された神社の神様になります)

昭和十六年(1941)、社掌柴沼三郎が総代の横田勘助らと協力し、境内拡張、参道新設、社殿の基礎工事、社務所新築を行います

昭和五十九年(1984)、延宝五年造営の本殿が常総市の文化財に指定されます


正式名称は「八幡神社」ですが、地名を冠して「水海道八幡神社」、当社HPでは「水海道鎮守 八幡神社」とも称されます。また神社庁HPによると、「御城八幡」「八幡さま」の愛称もあるそうです。ちなみに茨城縣神社誌の境内施設の欄には「社名額(八幡宮)」の記載があり、かつては「八幡宮」と記された扁額もあったようです


さて、神社です⛩(今回の写真は令和八年(2026)九月二十三日に撮影した写真を使用しています)



関東鉄道常総線の水海道駅から歩いて10分程の、八間堀川の南側に鎮座しています。車の場合には国道354号線沿いとなります

駐車場は一の鳥居をくぐった先、二の鳥居の手前に広く用意されています😊

一の鳥居です。両脇には「水海道」「八幡神社」の大きな看板が並び、通りからでもすぐに分かります



扁額はピカピカの金文字です✨



一の鳥居をくぐると駐車場になっていて、その先に境内の杜が見えてきます。参拝時は例大祭の時期だからでしょうか、奉納の提灯がずらりと並んでいました🏮



通りに沿って石の玉垣がぐるりと巡り、参拝時は例大祭の時期で、地元のお店や企業の名前が入った提灯と「奉納 例大祭」の幟がずらりと並んでいました🏮町の鎮守さまとして大切にされているのが伝わってきます

境内の入口脇には、注連縄が巻かれた大きな銀杏がそびえます。秋の黄葉の時期も見事でしょうね😊


二の鳥居です。一の鳥居とはまた違った、両部鳥居の趣ある姿です。



茨城縣神社誌によると、木造の両部鳥居は明治二十四年(1891)九月に村中で建てられたもので、ちょうど社殿の大修理と同じ年になります


此方の扁額は年季が入っていて、歴史を感じさせます



鳥居をくぐると、色鮮やかな鉢植えが並ぶ参道が拝殿へと真っ直ぐ延びています




参道右手には二基の石碑が並びます。右は本居宣長の


「しき嶋のやまとごころを人とはば朝日ににほふ山ざくら花」


の歌碑で、左の碑には「前宮司柴沼滉先生の遺徳を記念し、ここに歌碑一基を建立し山桜一本を植樹する」とあり、平成七年(1995)三月十九日に東京工業大学付属工業高校の卒業生の有志が建てたもののようです。柴沼滉氏は茨城縣神社誌にも宮司として名前が載っている方で、先生としても慕われていたのですね。先生と教え子の繋がりが感じられる、素敵な碑です☺️


手水舎です


手水鉢には「奉献」の大きな文字と「水海道町中」の刻字があります




側面には年号の刻字がありました。この手水鉢は「文化六己巳年」と読めるため二百年以上前の手水鉢が現役なんですね😲



手水舎の裏側には小さなお社があります

以前に参拝した近くの水海道天満宮や大生郷天満宮でも手水舎の裏側にお社がありましたが、この辺りの習わしでしょうか?



此方は水海道天満宮の手水舎です



此方が大生郷天満宮の手水舎です



境内左手の此方は神輿殿です

「水海道祇園祭」のポスターが貼られていました



脇の石には「牛頭天王」の文字が刻まれています(手水舎なのかもしれませんが、近くに寄って撮っておらず、何だったのかわからず😭)相殿の建速須佐之男命は牛頭天王とも称される祇園の神様で、大正四年(1915)に合祀された八坂社との繋がりを感じさせます


神輿殿の前には「旅順攻略紀念」の碑が建ちます。日露戦争の旅順攻略を記念して、八幡社の境内に松を一株植えて「抜旅順紀念之松」としたことが記されているようです。茨城縣神社誌によると、明治三十八年(1905)十月の建立で、撰文は塚田康、書は神部嘉平によるものです。碑文には大本営参謀次長の陸軍少将長岡外史の名も見えます。武運の神様である八幡さまらしい記念碑ですね



拝殿です。入母屋造に軒唐破風の屋根、紫の幕、大きな注連縄と、堂々とした佇まいです❢



幕や破風に付けられた神紋は「三つ巴」です



拝殿の扁額です。脇には「昭和十六年十二月八日 奉納 」とあります。昭和十六年(1941)は境内拡張や社殿の基礎工事が行われた年で、十二月八日はまさに開戦の日です。どんな思いで奉納されたのか、考えさせられます


更にその上にも、「昭和拾二年九月吉日」奉納の小さな扁額が掲げられています

唐破風には雲や波の彫刻が施され、鬼板や懸魚にも三つ巴が輝きます



本殿です



本殿はしっかりとした覆屋で覆われています。中には延宝五年(1677)造営の、南向きの一間社流造の本殿が納められていて、常総市の文化財にも指定されています。常総市HPによると、龍の丸彫や天岩戸神話の図、唐風の人物図、牡丹などの彫刻が見事なのだそうですが、覆屋は格子とガラス窓でしっかり守られていて、残念ながら中はほとんど見えませんでした😭




ただ、この覆屋自体も幕末から明治初期頃の建物と考えられているそうで、太い柱や木目に年季を感じます。鉄骨の筋交いで補強されている姿からも、大切に守られているのが伝わってきます


本殿脇の大きな石碑、「安藤敬止先生彰徳碑」とあります



此方は「神域改修記念」の碑です。碑文には「斯八幡社創建者距今約三百七十年」とあり、創建から約三百七十年を数えるとの事。また「紀元二千六百年記念」の文字も見えます。茨城縣神社誌によると昭和十六年(1941)四月の建立で、撰文は塚田節、書は当時の社掌の柴沼三郎によるもの。まさに同年の境内拡張や参道新設を記念した碑ということですね



碑の前には楕円形の大きな力石が四つ並んでいます



境内の北側には、朱塗りの小さな社があります。前には沢山の狐さんがおり、稲荷社のようです🦊




稲荷社の裏には石祠や石仏がずらりと並んでいます。中でも数珠を手にした僧形の石像は、苔むした姿が何とも言えない味わいです☺️かつての神仏習合の名残でしょうか




境内の奥、瓦塀に沿って小さな境内社が三社並んでいます。茨城縣神社誌には境内社の情報はなく、何社であるかは分かりませんでした



拝殿脇に置かれたこの鬼瓦の紋は、水海道の旧家で使用されていたものだそうで、源氏香紋の「花散里(はなちるさと)」の図柄だそうです。不思議な図柄ですね


拝殿の右手では、鉢植えの稲が見事に実っていました🌾掲示には三大神勅の一つ「斎庭の稲穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく)」が紹介されています



「以吾高天原所御齋庭之穂、亦當御於吾兒」(日本書紀 神代紀 第九段 一書第二)


(私(アマテラス大神)が高天原で育てた神聖な稲穂を、あなた(ニニギノ命)に授けよう:掲示の現代語訳より)




拝殿の左手、社務所の前には注連縄を巻いた大銀杏と、大きな欅がそびえています。どちらも境内を覆うほどの枝ぶりで、見上げると圧倒されます😲茨城縣神社誌では御神木は「欅(樹令約四〇〇年)」とされています。延宝五年(1677)の遷座からおよそ三百五十年ですから、この地に社が移った頃から見守ってきた木なのかもしれませんね



拝殿前から振り返ると、朱の鳥居まで真っ直ぐ参道が延びます。街中とは思えないほど、大きな木々に囲まれた気持ちの良い境内です☺️



神輿殿の脇には、もう一つの入口に石の鳥居が建っています。朱の一の鳥居とは対照的に、苔むした素朴な石鳥居で、此方も趣があります☺️茨城縣神社誌によると、石鳥居は文政十二年(1829)三月に村中で建てられたもので、境内でも古い部類になります(神社誌では「神明石鳥居」と記載)




境内の外れ、防火水槽の脇には小さなお堂があります。扁額には崩し字で「薬師如来」とあり、薬師堂のようです。境内の石仏と同じく、かつての神仏習合の名残でしょうか。扁額の脇には「奉拝」の木札も掛かっていました



御朱印は社務所で頂けます。この日は書き置きでの対応でした(宮司さんがいらっしゃる時に直書きで頂けるかは分かりませんでした🙇‍♂️)




町中にある、今も地域から愛されている鎮守様という趣で、気持ちの良い神社でした。周囲には有名なラーメン屋さんや、ミュージアムパーク茨城県自然博物館など見どころも多い場所です。周辺に足を延ばした際には是非訪れてみてはいかがですか