2013年2月2日土曜日

長幡部神社(常陸太田)

茨城県常陸太田市幡町字明神森に鎮座する長幡部神社(ながはたべじんじゃ)のご紹介です

此方は延喜式神名帳に記載された久慈郡七座の一つの式内小社になります

御祭神は綺日女命(カムハタヒメノミコト)と多弖命(タテノミコト)です

綺日女命は瓊々杵尊の天孫降臨の折、御服を織る為に機織機を持ってお供をした神様で、日向の二所の峯(高千穂)より、三野(美濃)の国の引津根(ひきね)の丘に移られます。崇神朝の頃、三野より、長幡部の祖先である多弖命が常陸國久慈郡太田郷に移り住み、機殿を立てます。この機殿で織られる服は、自分から衣裳となり、裁ち縫いする事がなく、「内幡(うつはた)」と呼ばれたそうです。また、絁を織る時に人に見られないよう、扉を閉め、中を暗くして織るので、「烏織(からすはた)」とも呼ばれたそうです。どんな剣でも断ち切れなかったこの絁は、年毎に神調として奉られたとの由緒が伝わっています。社名である長幡はこの絁の名前で、これを織り作る者を長幡部と言い、御祭神の子孫がその遠祖を祀ったのが当社であるとの事です
因みに絁とは絹織物の一種であり、後世の紬のような平織りの織物であると言われています
中世以降は小幡明神、駒形明神と称するようになり、康平年間(1058-1065)に源頼義が奥羽征討の際に、戎旗を奉献して戦勝を祈願、凱旋に及び社地に鹿島・三島・神明・若宮八幡の四所を祀り、四所明神となると、遂に社号を失って鹿島明神とのみ称されるようになったそうです。社名が旧社号に戻ったのは延享年間(1744-1748)で、その後、水戸藩に厚く保護されています
明治六年郷社に列格しています


さて、神社です

長幡部神社は常陸太田市街地より東側、里川を超えた高台、阿武隈山地南端の丘陵の南麓に位置します

で、こちらの神社、車で参拝をする時には要注意です!!バスなどで近くから歩いて参拝する方は、表参道からの参拝で何ら問題ありませんが、この表参道は、車では無理な道になっています
他の方の参拝録などを拝見すると、車を擦ったなどもあるようなので、車の時には裏参道を利用した方が吉です。駐車場も裏参道にあります

因みに裏参道は、参道に続く県道61号線を丘陵の裾野を巡る形で北上し、高台を登り、更に細い道へ入っていくというように、此方も分かり辛いかもしれません。ナビがついていれば、何となくあたりは付けられると思います

こちらが表参道に続く道です。既にここからして、大きい車は難しく、どんどん先細りします

ちょっとしたカーブの果てに、突然切り通しのような参道が出現します!初めて見ると、結構驚きますΣ(・□・;)

本当にこの先に神社があるのか、不安になる様な、それでいて何が待っているのか期待してしまう、そんな石段です

切り通しの階段を登って行くと、一の鳥居に迎えられます

現在は社号標を含めて破損した状態です

二の鳥居は両部鳥居です

因みに裏参道は、二の鳥居を抜けた表参道の横に出てくる形になっています

裏参道は大丈夫と言っても、こちらも結構な狭さです


鳥居を抜けた先の境内は綺麗に整備された空間です

参道の凄さを考えると、もっと秘境的な寂しさを想像してましたが、氏子さんの崇敬が篤いのでしょうね
この日も何人もの参拝者が訪れていましたよ

狛犬は新しいものですね

拝殿です

扁額と、その横の奉納された絵馬です

神紋は「左三つ巴」です

本殿の手前にある小さな灯籠はキノコのような面白い形をしていますね

本殿です

小さく飾り気はありませんが、静謐に包まれた境内に在るべくして在る、そんな本殿ですね








境内社は雷神社、鷺森神社、浅間神社、羽黒神社、熊野神社、愛宕神社、阿夫利神社、稲荷神社、天満天神宮、石尊神社、松尾神社が確認できました

天満宮は他の境内社よりも立派に作られています

此方は御神木の「男松」「女松」です

若い御神木、これから歴史ある神社に見守られながら成長していくんですね(^.^)

境内の一角には「長幡部神社郷土資料館」があります

中には機織に関する機械や神輿などが置かれています。残念ながら鍵が掛かっているので外から見るしか出来ませんでした

こちらは前回紹介した若宮八幡宮の宮司さんが兼務されています
御朱印をお願いすると、印が無い為に墨書きでとのことでした



車での参拝には多少の苦労が伴いますが、それを越えての参拝には、軽い感動めいたものも感じられる、そんな神社でした