茨城県那珂市菅谷に鎮座する『菅谷鹿島神社(すがやかしまじんじゃ)』のご紹介です
此方は以前紹介した鹿嶋市の鹿島神宮の御分霊を祀った神社で、御祭神は武甕槌大神になります
御由緒として、創建は大同年間(806-810)で、鎮座地は那珂市菅谷字両宮に創建されたということです。天喜五年(1057)に、前九年の役に勝利した源頼義が、御礼に社を菅(チガヤ:茅)で葺いて寄進したので、当地の地名が『菅谷』になったと伝わっています。慶長年間(1596-1615)には、常陸に覇を唱えた佐竹義宣公が同地に八幡神社を祀り、『両宮』の地名が起こります
元禄九年(1696)、徳川光圀公の所謂「八幡潰し」で、八幡神社が廃され鹿島明神だけとなり、天保十四年(1843)には徳川斉昭公の一村一社制で、鹿島明神も廃されてしまいます
その後、村人達の陳情もあり、安政三年(1855)三月に、斉昭公より正式に創建遷座を許され、現在の鎮座地へ社殿の造営が開始されます。翌年一月十三日に鹿島神宮で分神霊を授かり、十四日から十九日まで、現在の水戸市青柳にある鹿島香取神社に滞在後、一月十九日に数百人の氏子や神官で分神霊を遷した神輿を挟み、菅谷まで遷宮行列がなされ、鎮座されています
明治六年に村社に列格しています
此方は三年に一度の八月十五日に行われる例祭、「菅谷のちょうちん祭」とも呼ばれる大助祭(おおすけまつり)が有名なじんじゃです。当日は数百もの提灯をぶら下げた山車や、5mの青竹に七つの花提灯をつけた「七つぼんぼり」が各町内から出てきて練り歩きます。
町内から出た提灯行列は鹿島神社境内に集合し、火伏せの神事が行われ、その終了の合図と共に、各町内は「七つぼんぼり」を振り、真っ先に提灯を落とした町は縁起が良い、と伝わる祭りだそうです
祭りの名前の「大助」は、鹿島大神の陸奥遠征に際して援兵を差し出したことに由来するそうで、歴史的に見ると、大和政権の陸奥遠征への兵員参加や食糧供出に由来していると伝わっています
この祭は、本宮である鹿島神宮の神幸祭に倣ったもので、それが土地独特の様式となり、今日まで伝わっているそうです
次回の開催にはぜひ見てみたいものです( ´ ▽ ` )ノ
さて、神社です
鎮座地は那珂市の市街地を縦断する国道349号線から県道31号線へと右折した道沿い、菅谷小学校の向かい側に鎮座しています
神社入口の鳥居です
社号標です
此方は「茨城百景 勝田菅谷の古蹟巡り」としても選ばれています
鳥居をくぐると整然とした参道が社殿へとまっすぐに伸びます
参拝した日は新緑の眩しい六月で、神社を取り巻く木々にも命が満ち満ちているのが感じられます
手水舎です
狛犬です。綺麗に注連縄を巻かれた姿は、何だか化粧回しを付けた土佐犬のような凛々しさです
参道も広く整然としていましたが、境内もとても広く、綺麗に整備されています。大助祭の時には、きっとこの空間が提灯でいっぱいになるんでしょうねo(^▽^)o
社殿は鹿島神宮に倣い、北面しています
拝殿です
此方は平成二十五年の一月三日の写真です
神紋は徳川斉昭公が復興させた神社ということもあり、所縁も深いからでしょうか、「三葉葵」です
扁額です
本殿です
境内社は金刀比羅神社、弁天社、熊野神社、稲荷社群が確認出来ました
此方は神輿殿です
御朱印は、普通の日は社務所で頂けます。この日は三ヶ日であり、宮司さんは社殿にいらっしゃり、そこで頂けました。お正月真っ只中で忙しい中でも、快く書いて頂き、平身低頭ですm(_ _)m
参拝の度に宮司さんとすれ違い、今回、三回目の参拝で頂くことができました。御朱印を希望される方は、事前の連絡が無難かもしれませんね
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