2015年7月23日木曜日

ふら~り、神社探訪 和歌山編 一日目その壱

6月の終わりに夏休みを頂き、さてさて、どうすべと(・∀・)
世間は梅雨真っ盛り!!しかし、長期休暇だし、遠くの神社へ行かねばと、勝手な使命感に燃えて向かったのは和歌山です!!
え?なんで和歌山?まぁ、何となくですよね、、、と言うのは嘘で、伊勢に何度も行っていると、熊野にも行ってみたいというのが人情でしょう(?)
と言う事で、恒例の深夜高速に向け、自宅の茨城県は鉾田市を午後八時ぐらいに出発しました(((((((((((っ・ω・)っ ブーン
と、ナビに目的地のある和歌山県新宮市を入れた所でいきなり問題発覚( ;´Д`)
頻回に伊勢に行っているので、伊勢までどれぐらい掛かるかある程度わかっているつもりでした。そんでもって、和歌山隣だし、新宮市も直ぐでしょ、ぐらいに思っていたら、700㎞、所要時間10時間Σ(・∀・;)

まあいっか、朝には着くでしょ(・∀・)
こんなノリで休憩取ったり、温泉入ったりして、和歌山県に次の日の午前11時頃到着しました(^^)
で、本日の参拝旅行、最初の神社は熊野速玉大社です。
「熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)」のご紹介、の前に、本当に簡単にですが、熊野三山と熊野権現について書いていこうと思います。
熊野三山とは熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)、熊野速玉大社、熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)の三つの神社の総称の事になります。
熊野権現とは熊野三山の祭神である神々の事を指し、家津美御子命(けつみこのみこと)、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の三柱のみを指すと熊野三所権現と呼びます。熊野三所権現以外の神々も含めた場合には、熊野十二所権現と呼ぶそうです。
ちなみに熊野本宮大社、速玉大社、那智大社共に家津美御子命、熊野速玉大神、熊野夫須美大神を祀るのは変わりませんが、それ以下の神様は若干違うようです。また権現とは日本に古来からいる神様が、仏が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号の事で、熊野の神様達にも本地仏が定められています。
まぁ、僕の書いているのも色々な本やネットの情報の受け売りなので、御興味のある方は他の方のサイトや本で参考にしていただけると幸いです(^^;;
御祭神として、熊野速玉大社では、熊野速玉大神と熊野夫須美大神を主祭神としています。
熊野速玉大神は伊奘諾尊の映え輝く神霊を称えた力強い御名と言われています。
熊野夫須美大神は伊奘冉尊の別名で、産霊の神(むすびのかみ)、万物を育成し、宏大なご神徳を称えた神名なのだそうです。
この二柱の神様を御主神とし(カッコ内は本地仏です)、第一殿に熊野夫須美大神(千手観音)、第二殿に熊野速玉大神(薬師如来)を祀り、第三殿に家津美御子命と国常立命(阿弥陀如来)、第四殿に天照大神(十一面観音)、第五殿に高倉下命(本地仏なし?愛染明王?)、第六殿に天忍穂耳命(地蔵菩薩)、第七殿に瓊瓊杵命(龍樹菩薩)、第八殿に彦火火出見命(如意輪観音)、第九殿に鵜葺草葺不合命(聖観音)、第十殿に国狭槌命と豊斟渟命(文殊菩薩・普賢菩薩)、第十一殿に泥土煮命(釈迦如来)、第十二殿に大斗之道命(不動明王)、第十三殿に面足命(毘沙門天)を祀っています。
第三殿に祀られている家津美御子大神は熊野における素盞嗚尊の御神名で、樹木、食物の守護神と称えられています。
御由緒として、創建年代は不詳ですが、まず神代の頃に熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子命が神倉山に降臨し、次に熊野川対岸の石淵という地に二社殿を建てて祀られ、景行天皇五十八年、現在の鎮座地に真新しい宮を造営、御奉遷して旧い宮に対して「新宮」と号したとされています。
初めは二つの神殿に熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子命を祀り、平安時代初めの頃には十二の神殿が完成されていたそうです。延喜式内神名帳では式内大社に列します。明治期に入ると明治四年に県社、大正四年には官幣大社に列格します。
神社名も、初期には熊野新宮社と称し、神仏習合説の影響が及ぶと熊野十二所大権現、熊野権現と称されていきます。明治に入ると熊野早玉神社、熊野速玉神社と称していきました。
さて、神社です。
熊野速玉大社は熊野川河口のそばに鎮座します。
神社の脇に大きな駐車場があります。
社頭です。
社号標です。
一の鳥居は朱塗のきれいな両部鳥居ですね(^^)
此方は世界遺産の碑ですね。
最初に出会ったのは「鑰宮(かぎのみや)手力雄神社(たぢからおじんじゃ)」と「八咫烏神社(やたがらすじんじゃ)」です。
流石熊野神社の総本社、境内は広く、綺麗です(・∀・)
立派な大木は当社の御神木である「梛(なぎ)」です。
平重盛公がお手植えされたこの御神木は、樹齢千年、日本一の梛の大木だそうです(^O^)
梛の葉は古くから熊野詣のお守りとされてきたそうです。
狛犬さんも何だか威厳たっぷりに感じます(^O^)/
手水舎です。
神門です。
八咫烏が色んな所にいますね(・∀・)
神門を潜ると社殿が広がります。
梅雨の晴れ間、日差しの中の社殿の姿を見ると、ビシッと背筋が伸びる想いがします( ・`д・´)
拝殿です。
扁額です。
神紋は「左三つ巴」と「桐」の紋だそうです。
八咫烏は多く見かけるけど、神紋ではないんですね。
御祭神の所で少し触れましたが、熊野速玉大社では第一殿から第十三殿に御祭神が鎮座します。
拝殿後方、左手に屋根が見えるのが第一殿で、熊野夫須美大神を祀った結霊宮。右手に屋根が見えるのが第二殿で、熊野速玉大神を祀った速霊宮になります。
ホントにちょこっとしか見えないので、他の方のブログなど参考にしてもらえると嬉しいですm(__)m
上三殿と鈴門(すずもん)です。
左手より第三殿である証誠殿、第四殿である若宮、第五殿である神倉宮になります。
此方は中四社と下四社である八社殿です。
中四社が左手より第六殿である禅地宮、第七殿である聖宮、第八殿である児宮、第九殿である子守宮になります。
下四社が左手より第十殿である一万宮(はじめかぎりなきみや)・十万宮(おわりかぎりなきみや)、第十一殿である勧請宮、第十二殿である飛行宮、第十三殿である米持宮になります。
此方は速霊宮と上三殿の間にある摂社で、第十四殿「奥御前三神殿」です。御祭神は天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神になります。
すらりと並んだその姿、凛々しいなあと感じるのは僕だけかしらん(・∀・)
社殿右手には境内社である第十五殿である新宮神社と、第十六殿である熊野恵比寿神社があります。
新宮神社は明治四十年九月二十日、新宮町内の当大社末社を境内の金刀比羅神社に合祀した神社になります。
合祀された神社は、太上宮(大巳貴命)、谷ノ子守神社(菊理媛命)、石神社(素盞嗚命)、今神倉神社(天村雲命)、渡御前社(神日本磐余彦命)、満山神社(八百万神)、高倉神社(熊野樟日神)、火之神社(軻具土神)、猿田彦神社(猿田彦神)、鳥坂子守神社(埴山姫命)、八幡宮(誉田別命)、小飛神社(稲倉魂命)、妙見社(少彦名命)になります。
元々の金刀比羅神社の装飾が見事で、屋根には大黒様と恵比寿様がいらっしゃいます(^O^)/
此方は熊野恵比寿神社です。
御祭神は熊野恵比寿大神で、兵庫県西宮市の西宮神社から御勧請したそうです。
因みにこれ、この二日後にも見かけることになるのですが、なんなのでしょうか?参拝していた人が何度か撞いてたのですが・・・っていうか、そこで聞けよ(;一_一)
嗚呼、自分の人見知りが悔やまれる(´;ω;`)ウッ…
拝殿向かい側には「熊野御幸(くまのごこう)」の石碑です。
御幸とは主に上皇、法王、女院の外出の事で、天皇の場合には「行幸」になります。熊野の地が世に知れ渡ったのは、この熊野への御幸が頻繁に行われた事で、平安貴族の間で熊野詣でが流行するようになります。更に室町期には武士や民衆の参詣が多くなり、「蟻の熊野詣で」と呼ばれる賑わいになったそうです。
その熊野御幸、後白河上皇は33度詣でているそうですΣ(・□・;)
ちなみに何故熊野だったのかという理由は定かではないとか。
此方にも立派な世界遺産の石碑です。
手水舎裏手に稲荷社です。
此方は宝物館である熊野神宝館です。
入り口にはこの地に縁ある武蔵坊弁慶の迫力ある像が!!
この神宝館、侮る無かれ、国宝がザックザック普通に見れます(゚д゚)!その並びに、普通にビックリできる事うけあいです(・∀・)
御朱印は社務所で頂けます。
また、此方にはオリジナルの御朱印帳があります。
表表紙は美しい社殿。
裏表紙は御船祭の勇壮な姿が刺繍されています。
そして此方は「熊野牛王宝印(くまのごおうほういん)」です。熊野速玉大社では、四十八羽の熊野烏で社名を象っており、武士の誓約、起請文などに用いられたそうです。

熊野速玉大社を後にし、次の目的地は熊野速玉大社の摂社である神倉神社へと向かいます。
「神倉神社(かみくらじんじゃ)」のご紹介です。
神倉神社は権現山の東南端、神倉山に鎮座しています。
山上にゴトビキ岩と呼ばれる巨石を御神体として祀っています。
御祭神は高倉下命(たかくらじのみこと)と天照大神になります。
御由緒として、熊野三所大神が最初に降臨した霊地とされ、この事から熊野根本神蔵権現、熊野速玉大社奥院とも呼ばれているそうです。また、古事記、日本書紀によると、神武天皇が東征の際に登った天磐立(あめのいわたて)の山が神倉山とされているそうです。この時に御祭神である高倉下命が霊夢により神剣を得て、それを神武天皇に捧げ、天皇はその剣により熊野の荒ぶる神を倒します。更に高木神から遣わされた八咫烏に導かれ、神武天皇は熊野、大和を制圧したと言われています。
その高倉下命が天より剣を遣わされた場所が、神倉山のゴトビキ岩の辺だと伝わっています。
平安時代には神倉山を中心として修験者が集まるようになってきます。しかし、その後は度々災害や時勢により荒廃、その都度再興されます。近世には紀州徳川家、神宮領主の浅野氏、水野氏の崇敬を集めますが、明治三年の台風で社殿以下が倒壊、荒廃し、明治四十年に熊野速玉大社に合祀されます。大正七年、祠の再建を初めに、昭和に入ると鳥居や社務所などの再建を果たします。
当社も熊野速玉大社の境内地の一部として、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一部になります。
さてさて、神社です。
神社近くには専用駐車場があります。また、熊野速玉大社から徒歩でも十分程度で着ける距離でもあります。
社頭です。
社号標です。
此方にも世界遺産の石碑があります。
此方は境内社の「猿田彦神社」と「神倉三宝荒神社」です。
手水舎です。
鳥居の向こう側には、源頼朝が建久四年(1193)に寄進したと伝わる石段が延びます。
583段あるこの石段、軽い登山並みに激しい傾斜(⌒-⌒; )
舐めてかかると本当に危ないです(^^;;
石段を振り返ります。例祭である「御灯祭り」では、白装束に身を固めた祈願社が、神火を松明に受け、この石段を駆け下りるとかΣ(・□・;)
途中には「火神社」と「中ノ地蔵堂」があります。
二の鳥居になるのかな?
此方は「神倉神社の手水鉢」です。
新宮城主第二代の水野重良が、姉あるいは妹の延命と繁栄を祈願して、寛永八年(1631)に寄進したものになります。
手水鉢を過ぎると、威容を誇る巨石に目が奪われます(^^)
神倉神社社殿とゴトビキ岩です。
ちなみにゴトビキとは、新宮の方言でヒキガエルの意だそうです(^^)
社殿から神宮市内、そして太平洋を望みます。
古代からの磐座信仰が続いてきた場所、古代の人はこの風景を見ながら、何を祈り何を願ったか、それをしばし考えさせられます。
二の鳥居手前には「満山社です。」
御朱印は熊野速玉大社で頂く事が出来ます。
今回はここまでです(^O^)/早く今回の旅、全部紹介できるよう頑張りますヽ(・∀・ )ノ