2015年7月23日木曜日

ふら~り、神社探訪 和歌山編 一日目その弐

はい、と言う事で和歌山の旅一日目の続きですヽ(・∀・ )ノ
熊野速玉大社と神倉神社の参拝を終えて、次に向かうのは同じ熊野三山である熊野那智大社へと向かいます(((((((((((っ・ω・)っ
特にこれと言ったトラブルもなく、午後三時前に到着です。
着いた瞬間、目に入った光景が此方でしたΣ(・∀・;)
凄い、滝だ!那智の滝だ!!と、一人ではしゃぐ三十五歳オッサン(・∀・)
と言う事で、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山に鎮座する「熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)」のご紹介です。
御由緒として、神武天皇が東征の折、那智の海岸「にしきうら」から上陸すると、那智の山に光輝くのを見て、大滝を探り当てられます。其処に「大巳貴命」を祀り、また親神である夫須美神(伊奘冉尊)を祀ったのが始まりとされています。
仁徳天皇五年(317)に、滝からほど近く、見晴らしの良い現在の社地にお遷しになったと伝えられます。この時に、大滝を「別宮飛瀧大神」とし、熊野夫須美大神を中心に十二柱の神々を祀るようになります。
仏教が伝来すると、他の三山同様に神仏習合が進んでいき、修験道の霊場として発展していきます。
当時、既に独自の勢力を誇っていたとして、熊野三山の中で唯一延喜式内神名帳に記されていない式外社になります。神職の方に伺うと、神社としてでなく、修行場として発展を遂げていた事が理由ではないかと仰っていました。
明治に入り明治六年に県社に列すると那智神社と称し、熊野夫須美神社と改称、大正十年に官幣中社に列すると熊野那智神社と改称、昭和三十八年、現在の社名である熊野那智大社に改称します。
御祭神として、熊野那智大社では主祭神は熊野夫須美大神となります。また、元来滝を祀っていたという由緒もあり、十二柱の神に飛瀧大神が加えられ、十三柱の神々が祀られています。この事から、他の三山よりも一柱神様が多く、十三所権現と呼ばれることもあるようです。
御祭神は上五社として、第一殿瀧宮に大己貴神(飛龍権現)(千手観音)、第二殿証誠殿に家都御子神(阿弥陀如来)、第三殿中御前に御子速玉神(薬師如来)、第四殿西御前に熊野夫須美神(千手観音)、第五殿若宮に天照大神(十一面観音)が祀られます。
中四社と下四社は第六殿八社殿に祀られ、天神地祇八神が祀られています。wikipediaなどを参考に詳細を記すと、中四社として禅児宮に忍穂耳尊(地蔵菩薩)、聖宮に瓊瓊杵尊(龍樹菩薩)、児宮に彦火火出尊(如意輪観音)、子守宮に鵜葺草葺不合命(聖観音)になります。
下四社として、一万宮・十万宮に国狭槌尊と豊斟渟尊(文殊菩薩、普賢菩薩)、米持金剛に泥土煮尊(釈迦如来)、飛行夜叉に大戸道尊(不動明王)、勧請十五所に面足尊(多聞天)になります。
此方も「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として世界遺産になります。
さてさて、神社です。
駐車場は基本的に有料と思ったほうがいいです。お土産物屋さんで食事やおみやげ購入で駐車無料となったり、神社そばの駐車場まで行ける道もありますが、道が有料だったります。
神社の下、大門坂バス停の所に数台止められる無料駐車場がありますが、みんな狙っているので難しいです(^_^;)僕は恐ろしく偶然に、無料駐車場に差し掛かる所で一台車が出るというウルトラCなタイミングで滑り込めました(・∀・)
また、後述しますが、熊野古道として有名な大門坂を歩くルートなら、スタート地点に大きな無料駐車場があるので、それもひとつの選択だと思います(^O^)/
お山の上の神社ですので、当然ですが、
石段!
石段!
また石段です!!
因みに、参道途中で熊野那智大社と青岸渡寺に向かう道に別れます。上で隣り合っているんですけどね。
一の鳥居です。
社号標です。
世界遺産の石碑です。
そして石段です(;´Д`)
手水舎です。
手水舎向かいには「兒宮 多富氣王子神社」です。
此方は元来九十九王子最後の一社として、大門坂の登り口にありましたが、明治十年に熊野那智大社の摂社として現在地に遷されました。
筋骨逞しい狛犬さんです。
二の鳥居を潜ると、
山上の神社とは想像できない、広く綺麗に整備された境内が広がります。
緑が迫る中に、朱塗の社殿は美しく映えますね(^O^)/
拝殿です。
扁額には「熊野大権現」と書かれていますね。
神紋は「左三つ巴」ですが、菊花紋や八咫烏も目立ちます。
本殿は拝殿からは見えませんが、横並びに第一殿から第五殿が並びます。熊野造りと呼ばれ、第四殿のみ規模が少し大きいそうです。天正年間に豊臣秀吉が再建し、享保・嘉永の大改修を経て、昭和十年頃に修復されています。
此方は青岸渡寺側から見た本殿です。
写真で一番手前に見えているのが第一殿で、隣が第二殿になります。
此方は八社殿になります。
八社殿隣には御縣彦神社です。
御祭神は賀茂建角身命で、神武天皇が熊野に上陸した時に八咫烏として先導したと伝えられています。
八咫烏が凛々しいですね(^^)
此方は平重盛公お手植えと伝わる御神木の樟です。
樹齢は八百年と伝わります。
此方は宝物殿です。熊野速玉大社と比べると、国宝などはありませんが、興味深い神宝や、当社例祭「那智の火祭り」で使用される特殊な神輿、「扇神輿」のレプリカなどを見ることが出来ます。
青岸渡寺側からの入り口です。
御朱印は社務所で頂けます。
此方にはオリジナルの御朱印帳があります。
御本殿と那智の大滝が綺麗です(^^)
此方は烏牛王「からすごおう」で、七十二羽の烏で神文が書かれています。
すぐお隣には青岸渡寺(せいがんとじ)が続きます。
創建は不詳ですが、伝承によると仁徳天皇の時代、インドから渡来した裸形上人が開基したとされています。本尊である如意輪観音像は、裸形上人が那智滝の滝壺から見つけて安置したと伝わります。
その後、花山法皇が永延二年(988)に御幸され、西国三十三ヶ所第一番札所として定められます。
本堂は豊臣秀吉が天正十八年(1590)に再建したものになります。
三重塔と那智の滝、よく写真で見かける絶景です(・∀・)
御朱印は社務所で頂けます。
また此方にもオリジナルの御朱印帳があります。
三重塔と那智の大滝が渋く描かれています。

青岸渡寺を参拝した後には、熊野那智大社別宮の「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」に向かいます。
神社入り口は熊野速玉大社の下、参道入口のそばになります。
入り口大鳥居です。
この日は梅雨真っ盛り、雨こそ降っていませんでしたがジメジメ暑かったのですが、滝の近くだからか、鬱蒼とした森を進む参道はひんやり心地良かったです。
飛瀧神社です。
飛瀧神社は那智の滝そのものが御神体であり、本殿、拝殿がなく、滝を直接拝む形になります。
那智の大滝は落差133mあり、滝の飛沫に触れることで、延命長寿の霊験があると言われたそうです。
神倉山のゴトビキ岩の時にも感じましたが、矢張り間近で自然を感じられる場所では、そこに畏敬の念を抱かずにはいられません。それは現代人でも古代人でも同じなんですよね、きっと(^^♪
飛瀧神社遥拝所から反対側、石段のすぐ横に「光ヶ峯遥拝石」があります。
光ヶ峯は熊野の神様が降臨した御山であり、那智山熊野信仰の原点と言われています。この遥拝石は光ヶ峯に通じており、遥拝所として重要な場所なのだそうです。
御朱印は社務所で頂けます。
見事な達筆、まさに滝が流れるような御朱印です(・∀・)

飛瀧神社参拝を終え、時刻は五時を過ぎたところ。夏至を過ぎたばかりの熊野の地は、まだまだ日も高いのですが、神社参拝は終了と思ったのですが、すぐ近くに熊野古道があるのだからと、夕刻に熊野古道散策に挑戦ですヽ(=´▽`=)ノ
ちなみに有名な熊野古道、果たして何なのか?端的に言えば、熊野三山に通じる参詣道の総称のことを指します。因みに道は三重県、和歌山県、奈良県、大阪府にまで跨がり、登録されている総延長は307.6㎞Σ(゚Д゚)いつか制覇してみたいですね( ・`ω・´)
で、夕方からそんなに長い距離は歩けませんので、今回は熊野那智大社の参詣道である「大門坂」を歩きます。全長約600m、高低差約100mのウォーキングです(^^)
大門坂駐車場です。結構大き目な無料の駐車場になります。
こんな所にも八咫烏です(^^)
大門坂入り口です。
と、普通に民家の横を抜けていく箇所もあるのがびっくりです。
まるで巨大な門柱のような「夫婦杉」です。
こちらは「多富氣王子跡」です。
前述しましたが、明治十年に熊野那智大社境内に移され、現在は跡地だけが残ります。
杉並木の中、苔むした石段が広がるそこは、歴史が息づくという言葉がぴったりです(^^♪
が、梅雨時期はこの苔がかなり滑りますΣ(・∀・;)
しかも刻一刻と暗くなる時刻、計画性は大事ですね( ゚∀゚)・∵. グハッ!!
ここが大門坂の名前の由来になった大門のあった場所です。
ここから更に少し歩くと、熊野那智大社や青岸渡寺へ至ります。

駐車場へと戻り、時間的に日も暮れかかったので、和歌山市内のホテルへと向かいます。ちなみに那智勝浦町から和歌山市、遠いんですね(^_^;)180㎞、3時間以上かかりましたorz
嗚呼、計画性(;゚Д゚)
そんなこんなで和歌山の旅一日目、終了です!
三日目書き終えるまでどれくらいかかるかなぁ?お時間ありましたら、末永くお付き合い下さいませm(__)m