2013年1月13日日曜日

稲村神社(常陸太田)

茨城県常陸太田市天神林町に鎮座する稲村神社(いなむらじんじゃ)のご紹介です

此方は以前紹介した櫻川磯部稲村神社と同じ、延喜式神名帳に記載された常陸國久慈郡七座の一つ、式内小社稲村神社の論社になります。旧社格は郷社です

御祭神は饒速日尊(にぎはやひのみこと)になります。配祀神として、神世七代の神々である國常立尊、國狹槌尊、豊斟渟尊、泥土煮尊、沙土煮尊、大戸之道尊、大苫邊尊、面足尊、惶根尊、伊弉諾尊、伊弉册尊が祀られています

御由緒として、創建は不詳ですが、成務朝の時(131-190)、物部連の祖である伊香色雄命(いかがしこおのみこと)の三世孫、船瀬足尼(ふなせのすくね)が久自國造に任命された時、大祖である饒速日尊を祀ったのが始まりと言われます。また、一説には景行天皇四十年(110)、日本武尊が東征の折、この地に七代天神を祀り、戦勝を祈願したとも伝わります。

式内社「稲村神社」に関しては、神階昇叙の記載が史書に見えるのみで、社名を伝える社も伝承も無いような状態だったようです。当社は、水戸藩二第藩主光圀公が、近傍の天神社と称した七社を合祀して造営した「七代天神宮」を、江戸時代後期までに稲村神社に比定する説が定着し、祭神をも定めたもの、とされています。

この「七代天神宮」に関しては「新國誌」によると、当初は住民は菅原道真公を祀る天神社であると伝えていたようですが、元禄四年に徳川光圀公が天神林、間坂、小芝原、権現山、井の手、富士山、厳戸山の七社の天神社を巡覧して、道真公を祀る天神社ではないから、天神林に移して七神を一社とせよと命じています。同六年に新社殿の造営され、新たに神鏡七面を鋳て、四神旗、矛、その他の神宝を備え、「七代天神宮」と書かれた扁額を鳥居にかけ、九月五日に遷宮式を行い、十一月二十九日に光圀公は衣冠帯刀に身を正して祭典を厳修した、とあります。この天神が配祀神である十一柱の神様であるようです。このことから、光圀公は「七代天神宮」を式内稲村神社と考えていなかったと言われています

また、国学者、栗田寛による『神祇志料』の稲村神社の項に「今稲木村の隣邑天神林に在り、七代天神と云ふ蓋是也。(中略)今天神林村に佐竹寺あるは、郷名の遣れる也、舊事本紀、饒速日命に從奉れる二十五物部に挟竹物部ありて、物部族人久慈國造たりしを思ふに、稲材神蓋物部連の祖神を祭りしが、卽天神の裔なる故に、此神を天神と云るにやあらむ、其七代の字を冠らせたるは甚後の事也、故今姑く附て考に佛ふ。」と書かれています。
つまり、昔は物部氏の一団がこの辺りに勢力を持ち、彼らが祀っていた天神社が饒速日尊を祀る社であり、天神社=稲材神社=稲村神社であるとの事の様です。それが菅原道真公を祀る天神信仰が流行する中で、天神社との名前が先行し、祭神が変わってしまったんでしょうかね?中々複雑ですね(^_^;)ちなみにこの話の中には、佐竹寺を中心とした佐竹郷の由来も含まれていますね

このように社名は何度かの変遷があり、元禄以前までは天神社、元禄以降は七代天神宮、明治初年に稲村神社となっていったようです

ここでちょっと話がそれますが、どうして久慈郡の式内社であるのに、久慈郡から遠く離れた桜川市(律令時代には新治郡)の「磯部稲村神社」が論社として挙がっているのか。栗田寛は稲村の「村」が「材(キ)」の誤りである強調しているそうで、『神祇志料』も「稲村神社」の横に「イナキノ」と振り仮名を振っています。天神林の隣には当時稲木村(現在は常陸太田市稲木町)があり、古くは天神林も稲木村の一部であったのではと推測したくなります。更にその隣は磯部町です。長くなりましたが桜川市の「磯部稲村神社」の鎮座地も桜川市磯部字稲置(イナキ)になります。両社の間に「磯部(イソベ)」と「稲木・稲置(イナキ)」という共通地名が伝わっており、論社として「磯部稲村神社」が挙がるのはこのような地名の共通点ではないかと思います。もしかすると、今考えるよりもずっと深い繋がりがあるのかもしれません

何か話が取り留めない上に分かり辛い文章になってしまいましたね。もうちょっと文才が欲しい(´Д` )

さて、神社です

神社自体は細い道沿いにあるのですが、佐竹寺という大きなお寺さんのすぐ裏手にあるので迷わずにすむと思います

社頭です

社号標です

一の鳥居です

一の鳥居を過ぎると長い参道を進んでいきます。周囲には人家がなく、ひたすら静かです

垣に囲まれた二の鳥居です

小さな神橋です

手水舎です。参拝は昼過ぎでしたが、水はカチカチに凍っています

石段を登ったところにもう一つ小さな手水舎がありますが、こちらも凍ってます

石段の上には神門です

新門をくぐると赤い屋根の社殿に目が行きますが、横を向くとちょっとびっくり、境内社がズラリと並びます

こちらは前回紹介した天志良波神社の宮司さんが兼務していることもあり、境内社に限らず、境内の色々なものに御幣と紙箱が置いてあります。箱のなかにはお米が入っていたので神饌なのでしょうかね?

狛犬です。勇ましいお顔です

拝殿です

神紋は「三つ葉葵」です。上記したように、水戸光圀公と所縁が深いからでしょうか

扁額はありませんでした

神明造の本殿です

他の神明造の神社では装飾や神紋を見かけませんが、こちらは「三つ葉葵」がかかっていますね

拝殿から橋で繋がった此方は神楽殿でしょうか

此方の神門すぐそばの建物はなんでしょうか?

本殿裏手には看板に「雷神社」の文字が・・・しかし道というには少々心細い、獣道のようなものが...

ただただ静かで、周囲に人家や人の気配の一切ない、神秘的な雰囲気のある真冬の境内です。その奥地の森に踏み入るのは正直に言って結構勇気がいります(^_^;)それでも意を決して進むと、木々の間に小さな祠が!

此方が摂社の「雷神社」になります

以下、案内板からの抜粋です
『「続日本後紀」等に嘉祥二年(849)稲村神は、干ばつの時に祈れば必ず雨を降らせてくれるので官社となり、従五位上の位を授かりました。のち雷神社が摂社として独立し「雨乞い神事」が始まりました。雷神の石祠を中に入れて「神輿」を作り、町内を練り歩きました。』

境内社は全部で八幡社を始めとした十三社あるということですが、何社であるかはわかりませんでした

1つだけ大きなお社の此方は何だか可愛いらしい彫刻が彫られていました

境内社の中にあったこの石はなんでしょう?

全体的にとても静かで厳かな印象の神社です。きっと初夏などに来るとまた違った印象を感じるのでしょうね

 

此方は天志良波神社の宮司さんが兼務しているので、そちらで御朱印を頂けます

 

今回の式内社「稲村神社」についてはもっと調べてみたいですね。特に物部氏との関わりは避けて通れないようなので、古代史をやり直さないとなぁ