2015年5月6日水曜日

佐志能神社(笠間)

茨城県笠間市笠間に鎮座する「佐志能神社(さしの・さしのう)」のご紹介です。
間を挟みましたが、これで四社目、最後の佐志能神社のご紹介になります。
御祭神は豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)、建御雷之神(タケミカヅチノカミ)、大国主神(オオクニヌシノカミ)の三柱で、配祀神として品陀和気命(ホンダワケノミコト)、宇迦之御魂命(ウカノミタマノミコト)、市杵志麻比賣命(イチキシマヒメノミコト)、迦具土神(カグツチノカミ)が祀られています。
此方も前回までに紹介している石岡市染谷、村上、柿岡の佐志能神社と同じく、延喜式神名帳に記された新治郡の式内小社、「佐志能神社」の論社になります。
御由緒として創建年代は不詳です。
当社は佐白山(さしろさん)上に鎮座していますが、佐白(サシロ)と佐志能(サシノ)の音は酷似しており、新編常陸国誌では、古くはサシノ山と呼ばれていたのではないかと指摘されています。
また、染谷の佐志能神社でも触れましたが、豊城入彦命の子孫である佐白公が新治国造に任じられ、祖神を祀ったのが「佐白の山」と伝わっており、「佐白の山」が現在の「佐白山」ではないかと考えられています。
中世には、佐白山には真言宗三白山正福寺があり、佐白山中にあった神社も神仏習合となります。正徳元年(1711)に編纂された「笠間城記」によると、鎮守の神が六座あり、それぞれ「阿武権現(三白山の頂上を阿武山と号していて、現在の佐志能神社のある場所)」「煦路波瘕魔権現(クロバカマ:阿武山上にあり)」「小聖権現」「八幡宮」「稲荷社」「弁財天社」になります。しかし、この阿武権現の祭神などは明らかにされておらず、かつての佐志能神社ではないかという推測の域を出ないようです。
鎌倉時代、笠間に宇都宮時朝が領主として入ると、佐白山上に笠間城の築城を行うため、阿武権現を含めた六社と正福寺を取り壊してしまいます。阿武権現、煦路波瘕魔権現、小聖権現の合祀社は下市毛の遠森へ、八幡宮と稲荷社は新町へ遷されます。また、正福寺境内に六所権現として残った後に、下市毛に移ったとも伝わります。
江戸期には三白権現、三所大明神や六所権現と呼ばれていたようですが、新編常陸国誌に記載される三所大明神は、当社のすぐ近くにあり、以前に紹介した「三所神社」の誤りだとする説もあり、この頃の「佐志能神社」と言う存在は、はっきりとしたものではなかったことが伺えます。
時代が下り明治を迎えると、笠間藩知事牧野貞寧は、佐白山山頂に佐志能神社があったという言い伝えを聞き、笠間城を廃城とし、その旧材を用いて佐志能神社の復古を計画、明治三年に承認されます。明治五年三月十六日、下市毛にあった三権現祠が移され、遷宮祭が行われます。
御祭神は上述の通り豊城入彦命、建御雷之神、大国主神と定められ、更に山中にあったとされる八幡神、稲荷神、弁財天社と、愛宕社を配祀神として祀ります。
明治六年に村社に列格しています。
ちなみに古代律令制の新治郡では、笠間も含まれており、茨城郡に編入されるのは、豊臣秀吉の太閤検地の時になるそうです。純粋に郡域として新治郡の式内佐志能神社を比定すると、笠間の佐志能神社が当てはまるそうです。こういった部分は、色々考えられるのが浪漫ですよね(^^)/
さて、神社です。

神社の鎮座地は、かつての笠間城の天守閣のあった場所であり、現在その周辺は「佐白山ろく公園」として整備され、大きな駐車場もあります。
自然の宝庫と言われ、春夏秋冬、様々な姿を見せて楽しませてくれます(^^)/
因みにこの場所、某心霊系番組で取り上げられ、全国的な知名度がありますが、正直そう言ったものを期待していくと拍子抜けするほど普通の場所です。
参拝時には春真っ盛りで、まさに生命の息吹にあふれていました(^^)
かつての城の各所を巡るように神社へと向かいます。
山登りに近い石段を登った先に佐志能神社があります。
拝殿です。
扁額です。
本殿を囲う瑞垣は、天守の瓦を使ったものだそうです。
本殿向かって左側の瑞垣は、残念ながら崩れ落ちています。
参拝した当時は震災から一年程度、痛々しいお姿です(;_;)
今はどうなってるかなぁ?
神社の建つ場所を含め、ゴロゴロと巨石が目立ちます。
社殿前にも巨石があり、そちらには加工された後があります。手水舎の後かな?

此方の佐志能神社は、近くの笠間稲荷神社が兼務しています。そこで御朱印を確認しましたが、無いということでした、残念(´・ω・`)
佐白山周囲は多くの史跡や自然が楽しめます。また、このブログで紹介した笠間稲荷神社や、三所神社、八坂神社もあります。ゆっくりと散策すると、色んな発見があると思います(^^)