2015年5月6日水曜日

五所駒滝神社(桜川市真壁町)

茨城県桜川市真壁町に鎮座する「五所駒滝神社(ごしょこまがたきじんじゃ)」のご紹介です。
御祭神は建甕槌命を正殿に、大山咋神、猿田彦命を右殿に、木花開耶姫命、菅原道真公を左殿に祀っています。
御由緒として『茨城縣神社誌』を参考にしますと、『桓武天皇二十五代の末流、千葉家平常胤の女、真壁城主の大掾真壁六郎に嫁ぎ、その子桜井太郎良幹は鹿島大神宮を深く崇敬していた。武士である良幹は発向の際に鹿島神宮を祈願して、真壁町でも最も景勝なこの地に宮柱を建てたのである。社伝によれば六十七代三条天皇の長和三年(1014)九月十五日に勧請、高倉皇帝の仁安年中(1166-1168)社内より芦毛の駒が現れ出て石を踏み嘶いたと言われ、又境内に滝があつたと伝えられたことから、駒滝神社と唱へた。現在でも馬場先より一丁余離れたところに駒鳴石といふ一奇岩がある。
長和年中より流鏑馬神事が行はれ、徳川幕府より社領五石を賜はり、永享四年(1432)より笠間領主牧野越中守代々の祈願所となる。春秋再度領内安全五穀成就の祭儀を斎行し、又非常旱魃の年に限り、笠間領内旧二万石の各村を当神社に集合させて雨乞ひを行ひ、雨を降らせた事もあるといふ。
明治六年に、同地にあった天満神社、飯綱神社、富士神社、日吉神社を合併して御所駒滝神社と改めた。同年四月一日村社に列格する。』とのことです。
また、この社伝の他にも伝説があります。真壁城を築城した城主に男児出生、三日三晩の祝宴が続きました。ところが七夜に男児の姿が消えてしまい、家臣一同が大騒ぎで八方を探したところ、近くの山で沢山の鹿に守られた男児が見つかります。そこで沢に仮屋を建て産湯を使うことになると、近くの滝が「馬が来る。馬が来る」と言う。間も無く芦毛の馬が二頭現れて仮屋の前で跪きました。このことを聞いた城主は滝のほとりに「駒ヶ滝明神」を建立し、以来真壁城では鹿の肉を食さないようになったと言うことです。
さて、神社です。

神社の鎮座地は、筑波山を初めとする筑波連峰、権現山の麓に位置します。
神社の入り口は二箇所あるようで、県道7号線沿いと、畑を突っ切るような形で来る道とです。自分はナビに従って県道7号線沿いに来たので、前者の入り口より入りました。
が、結構細めの道に案内されるので、大丈夫かなぁと不安になります^^;
ちなみにこの道には大きな駐車場があるので、結果的にはこちらの方がオススメなのかもしれません。詳しい道のりは、上記の地図をご参照ください(`_´)ゞ
社頭です。(紹介は県道側ではない正面参道からになります。)
社号標には「祈願所 五所神社」とあります。
一の鳥居と狛犬さんです。
新しい狛犬さんですね。
石の産地だからでしょう、参道には石で作られた奉納品が目立ちます。
これは「ぼくに おいで」だそうです。中々面白い形です\(^o^)/
御由緒で書いた「駒鳴石」です。
参拝日が秋真っ盛りの11月、紅葉が綺麗でした^ ^
「長寿橋」だそうです。
境内を突き抜けるような形で小川が流れていますが、この川をたどると、御由緒に出てくる瀧があるんでしょうね。
長寿橋のたもとには、中々独特な存在感を醸す狛犬さんが!!
残念ながら奉納年代はわかりませんでしたが、苔生した背中がいい感じです。
手水舎です。参拝が夕方に差し掛かる頃で、なんとなく影が濃くなって、写真だとよくわかりませんね(^_^;)
社殿と、その前に鎮座する狛犬さんです。
此方の狛犬さんも独特です(^^)/
奉納は明治元年のようです。
「阿」の狛犬は、何だか木陰から覗いているような、その独特なフォルムと相まってユーモラスな感じです(^o^)
拝殿です。
扁額です。
神紋は「左三つ巴」です。
本殿です。
ずっしりと重厚な本殿は、入母屋造銅板葺、三間社流波風造というそうです。
宝永元年(1704)、古城村の大工、増渕清兵衛という人を棟梁として再建されたようです。
紅葉と組み合わさると、なんとも言えない雅な感じがします^_^
社殿左手に境内社があります。
此方は稲荷神社です。稲荷神社の前方及び後方のお社は詳細不明です。
良平稲荷神社です。
此方の二社も残念ながら詳細不明です。
此方は一社は若宮八幡宮ですが、残りの二社は不明です。
正面参道途中には月読神社です。
扁額が月の形になっています。遊び心がありますね(^^)/
先代の手水舎ですが、柄杓も置いてあり、現役の御様子。
また、表参道途中には権現山への登山道入り口が続きます。
神社左手、県道7号線側の鳥居です。
此方にも新しい狛犬さんです。

御朱印は社務所で頂けます。
紅葉がもう少しで鮮やかに染まる時期の参拝でした。次回は紅葉がもっと染まる時期に訪れてみたいです( ´ ▽ ` )ノ

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