2025年10月12日日曜日

蠶養神社・館山神社(日立市)

 茨城県日立市塩尻に鎮座する「蠶養神社(こかいじんじゃ)」の御紹介です

御祭神は「稚産霊命(ワクムスビノミコト)」「宇気母知命(ウケモチノミコト)」「事代主命(コトシロヌシノミコト)」となります

御由緒として(境内にある「蠶養神社縁起」と茨城縣神社誌を参考にしています)、孝霊天皇の御代五年二月初午の日、蠶養浜東沖磯の上に、稚産霊命が御神影を現わされ、貴くありがたいお告げがありました。当時の里人達は神路の森の上子山に社を建てて、日本最初蠶養の祖神、蠶養大明神、蠶養嶺地主神として敬い奉ってきました。その浦が豊浦の水門、神様の現れた場所を蠶養浜と呼びます

景行天皇の御代四十年、日本武尊東征の折、上総から陸奥へ入る時、豊浦の港に船を繋ぎ、蠶嶺の社に詣でて勝利を祈られました。その神威赫々と照り、蝦夷と戦わずしてことごとく平らげることが出来ました。尊は日高見国(東北)より常陸を過ぎて甲斐に至りますが、その際に今の社地に社を遷され、神領八十束部を寄進されたと言われます

元禄五年(1692)三月、水戸藩二代藩主徳川光圀公は当国式外三十五社の一つに列します

当初は「於岐津説神社(おきつせじんじゃ)」と尊称し、宇気母知命を奉祀していましたが、明治三十四年十月に現社号に改め、大正八年六月、御祭神二柱を合祀、大正九年八月に村社に列格し、同年九月九日に供進指定を受けます

昔の社名が「於岐津説神社」と言うと、神栖市の「息栖神社」と同じですね。息栖神社は鹿島神宮、香取神宮とともに当国三社と呼ばれる古社であり、主祭神も岐の神(くなのどのかみ)で、神社の性格からして違うと思いますが、何か関係するのかな?

ちなみに茨城県内には三蚕神社として、ここ日立市の蠶養神社と、神栖市の蚕霊神社、つくば市の蚕影神社がありますが、まだ参拝したことがないので行ってみたいですね(^^)/


さて神社です⛩

神社は国道6号線沿い、福島県側から南下する際は鵜の岬を超えたすぐ、東京側から北上する際は川尻海水浴場を超えてすぐの場所となります

駐車場は社務所横に停められます


社頭です

一の鳥居です

社号標です

社務所です

此方は神楽殿です

味のある「蚕養神社小貝浜観光案内図」です

まっすぐな参道を進んでいきます



と、歩いているとそこかしこからカサカサと!


おおッ、カニだ🦀

と思ったら、すぐ目の前に川尻海水浴場が広がります!

往来の激しい国道6号が目の前にあり気づきませんでしたが、さわさわと潮騒も聞こえていました😄

 

此方は「金色姫伝説」の説明板です

ざっくり要約すると、継母に虐げられていた金色姫がインドから桑の木で作った繭の形をした丸木舟で豊浦港に流れ着き、この地に住む権太夫に救われ育ちます。しかし5年後、金色姫は亡くなりますが、その際に養蚕の技術を教えて念仏とともに昇天するというお話です。

このお話はつくばの蚕影神社、神栖の蚕霊神社にも伝わっているのが興味深いですね

参道を進んでいくと社殿が見えます

二の鳥居です

振り返ると日立アルプスが広がります

手水舎です

拝殿です


扁額です


神紋は「左三つ巴」です




珍しい補強のされ方ですね😐


本殿です




茨城縣神社誌には境内神社に曽保登神社、大海津見神社、秋葉神社の記載がありましたが、残念ながら2社しか見つけられませんでした😭

曽保登神社は案山子の神様なんですよね😄

もしかしたら、ここに鎮座していたのかしら?





金色姫の説明板付近で道が分岐し、「小貝ヶ浜緑地」として小貝ヶ浜まで散歩道が続くのですが、草木が鬱蒼として断念(>_<)




終着点の小貝ヶ浜へは車で行きました


続いては同じく日立市川尻町に鎮座する「館山神社(たてやまじんじゃ)」のご紹介です⛩️




御祭神は大山祇命、伊弉冊尊となります


御由緒として、田中郷国井浜松見内に鎮祭していたのを嘉応元年(1169)四月、蚕養嶺の内宮本の地へ遷祀、その後に現神域を占卜し遷座しています

明治四十二年二月に同じ村内の無社格白山神社と合併します

明治四十七年七月十九日に村社に列格しています


さて、神社です⛩️


元々蠶養神社の神域の中に鎮座していたのを遷座したそうですが、現在は国道6号を挟んで目の前に鎮座しています


車で来た際は蠶養神社境内に停めての参拝が良いかと



社頭です



聖徳太子の石碑です




社号標と一の鳥居です



鳥居前には狛犬が鎮座します



狛犬は昭和三辰年五月奉納とあります


何だか南国チックなお顔立ち😊



神社は結構な角度の石段の上に鎮座します。撮り手が悪いので伝わらないですが、中々の角度です📐



社前です。小さい空間にギュッと詰まっている、そんな印象です



かつての手水舎と現代の手水舎(水道)



拝殿前にも狛犬です



奉納は昭和十四年三月とあります




拝殿です



以前は扁額がかけられていたのでしょうか?




神紋は左三つ巴です



拝殿の扉には何かが嵌って装飾していた跡があるように見えます



リンゴみたいですね🍎




蠶養神社の時にも感じたのですが、拝殿が瓦葺きのせいか、神社というよりもお寺のお堂といった印象を受けるのは私だけでしょうか🤔





本殿です







社殿周囲に石祠が幾つか




また、神社に上がる階段脇などに境内社が鎮座します





此方はうまく読めませんが、白山神社と、やはりほとんど読めませんが、おそらく摩利支天尊なのかと思います



ちょっとコントラストをいじって、摩利支天尊?違う?





此方は三峰神社です



神紋が菖蒲菱なので、秩父の三峰神社のご勧請でしょうか?





茨城縣神社誌には境内神社として稲荷神社、鷺森神社、素鵞神社、諏訪神社、安波神社、熊野神社、天満天神宮、吉田神社の記載がありますが、どのお社がというのは分かりませんでした😓


御朱印は以前御紹介した神峰神社で頂けます



蠶養神社の御朱印です



館山神社の御朱印です


蠶養神社は他の養蚕関係の神社や於岐都説神社の名称についてなど興味深い場所です。こういった部分の自分なりの考えもまとめてみたいなと考える今日この頃です🧐